今日、2月18日は

 

つぶが亡くなって3年となりますチューリップ黄

 



 

先日まで2月18日は雨予報だったのですが、

今日は快晴、気温もこの時期の北海道にしては暖かい

8℃まで上昇しました。

 

つぶが大好きで、亡くなる前日まで食べていた大好物・フルーツボーロ

ささみチーズのソーセージ

花を持って、



シンと一緒に、つぶの遺骨が入っている合同慰霊碑へ。

 

真っ青な空

 

長い長い、飛行機雲が空に模様を描いていました。

 

 



 

亡くなるなんて、少しも思っていなかった、つぶの突然の最期は

今も覚えています。

 

一晩中、呼吸ができずに苦しみ抜き

誰にも苦しいところは見せまい、と押し入れに何度も隠れてしまい

 

最期は高い、寂しげな声を何回も小さく出しながら

 

私の腕の中で、ぐったりとしていきました。

 

 

その数日前から連日続く大雪で、みんな疲弊していて

つぶの体調の変化など、誰も気に留めることもなかった

あんなに一緒にいたのに、助けてもらっていたのに

 

私に至っては、本当にたくさんの恩があり

出会ったのは10歳頃で

当時は学校でいじめられていて、毎日泣いて帰って来ては

 

遂に耐えられないと思い、台所の戸棚を開けて包丁を手に

自分に突き立てようとして

 

つぶが駆けつけてきたのを覚えています。

台所の戸棚は、当時家事をする母しか開けなかったので、おかしいと思ったのかもしれません

 

じっと、見つめる目は今も忘れられないです。

 

悲しみ、哀れみ、怒り、疑い、優しさ、愛情

 

全部がこもった強烈な目でした

 

「ごめんなさい、ごめんなさい」と

 

つぶに何回も謝って

その日からは、二度と自ら命を捨てまいと誓った私ですちょっと不満

 

 

慰霊碑には毎月やってきていて

もう3年も経つというのに

 

涙が止まりませんでした。一緒にいた母も泣きました。

 

しょーもない人間の私、生きる価値などないと言われていた私、いなきゃいいのにと言われていた私

 

家族がいたのに、私は命を捨てようとした

 

でも、たった1匹の小さな犬がそれを止めた

言葉もかけることができない、小さな犬が

 

1人の人間を救った

 

一方で、私を含めて人間は

 

1人の人間を平気で傷つけ、自分たちの勝手な秤で人を決めつけて

 

中には命すらも奪っていくのだ。

 

つぶの死、シンの死と、経験してからは

本当に色々なことに向き合うことになりました。自分が考えもしなかったことも、関心すらなかったことも。

 

先日書いた、母の最初の犬・チャーリーとブルのことも

今までは哀れな犬としか思っていなかったけれど

本当に皮肉だが、結果的に母を、私たち家族を救う力になっていたということに気づかされ

 

人は、善と悪・白と黒・正しいと間違っているで

簡単に決めつけ、まとめられるほど単純ではないのだと

28歳にもなって、ようやく知ることになったのでした。

 

チャーリーとブルがいなければ、祖母は母を手放さなかったので

依存心のある自分の母親から、

逃れる為に母親を殺していただろうと語る母。

 

つぶやシンの死がなければ、日々を何となく生きて

毎日、人の機嫌に左右されてはおろおろ怯えて、ちっぽけなことに執着して

しじみ達のことまで考えようともしなかったであろう、私。

 

 

よく、こんな不完全で、不幸しか生み出さないような

人間なんていない方がよかったのになと思うこともあるけど

 

たらればを考えようが、ないものねだりをしようが、あるのは現実だけで無駄であり

 

今ある、起きているものに、地に足をつけて生きる以外にできることなどないのだ。

 

つぶも、そうやって生きていたのだろうか。

 

だから、私もそうして生きていくつもりす

 

噛みついて、這いつくばって、抗って生きようと思います💪

 


 



シンとつぶが

大好きだった、大沼牛を買って来て

焼いて、犬たちの晩御飯にしましたナイフとフォーク

勿論、シンとつぶの分も一緒ですにっこり

 

 

 

 

つぶ

2006.3.10-2021.2.18 14歳11か月

 



 

素晴らしい約15年間の犬生に、

 

心から、敬礼虹