早いもので10月。すっかり秋です。



笹流ダム前庭公園、地元民である私達からは
赤川水源地と呼ばれ親しまれる場所へ先日散歩に行きましたニコニコ
紅葉が綺麗になるこの公園。既に葉は色づき始めていました。

小さな足取りで、みんなに追い付こうと毎日がんばる、しじみ。
一番小さなしじみは骨折の後遺症もあり、歩くのが遅いですが
不貞腐れることもなく
ただただ走る。

水面を覗いてみたり。小さくても怖いもの知らずなしじみは、
シンつぶ亡き後、失意にあった日々を越えて
今はこつぶや真珠にも頼られる強い子になりました。
いつも、頼れるつぶにくっついていて
あんなに小さかったしじみは今はみんなのしじみお姉ちゃんになった。

子犬たちも、もう1歳を越えて大きくなり
真珠はこつぶを好きだけど不器用で
よくこつぶを怒らせてしまう
こつぶはこつぶで真珠は遊び相手
でも、二匹は互いにいなければならない存在になってはいて
喧嘩して離れたなと思っていたら

いつの間に、また一緒にいる🐶🐶

君たち夫婦と似た関係だにっこり
天国では強がらなくていいから
流石の亭主関白シンも、つぶに優しくなったかなぁニコニコ

摩周丸は最近、とにかく摩周丸ファーストを一家で心がけて精神的にも安定し
真珠にもすごく優しくなりました。
心臓病を抱えながらも、今のところは弱い強心剤で毎月の検診も異常なし指差し
基本的に落ち着いていて優しく、室内トイレをしないこともありお出掛け先では安心かニコニコ

とにかく甘えん坊でちょっとでも寂しくなると、
ストレスを抱えてしまいます。
なので、今度どこかで摩周丸だけを連れて
初の犬宿泊可能なホテルに、私とだけで行こうと思ってます。心臓病の静養にもなるかなと昇天

最近は母から私と親しい間柄です。



もし、

つぶが亡くなった時
私がつぶを顧みず、気にかけずにいたことが重ならず
自然に亡くなっていたのなら
私はきっと、自分の罪深さに何も気づかぬまま
変わらなかったろうし

また人の目を気にしてばかりで
目先の欲ばかりにとらわれて
残されたしじみ、摩周丸、シンのことを
気にかけることがないまま
時は過ぎ、また疲弊する毎日を過ごしていただろうと思います。

シンの看病、闘病を経て今に至り
これまでは
私の生活が幸せである、と周りにアピールする
自己顕示欲の道具にしてしまっていたと認めざるを得ない。
ブランドの服を着飾らせ、周りに自慢し

健康については全て、母に丸投げだった。

しじみ、摩周丸とは確実に距離が生まれていました。

シン、つぶは10年以上共におり
いつか、私がまた寄り添い散歩してくれるのを夢見て
何年も待ち続けたのだと思います。

二匹がいなければ今はありませんでした。

二匹の存在は時が経つ程に大きくなります。



座ると4匹固まってきます昇天
合計体重12kg。

幸せな重さ。

心にはそれ以上の、重さがのしかかる。
時が経てば経つ程に
重さはどんどん大きくなる

何も価値がありはしない空虚を掴もうと足掻く私に対し
目を覚ますにはシンとつぶか、家族か
自分ではなく、誰かが私の愚かな行為により犠牲になる
そのくらいしか、道がなかったのは認めざるを得ません。

肉体的には死んだ二匹が
二度と死ぬことのない形で復活をし、私の中に居続け
私に、暗い歩みをすることを許しませんでした。

命は生きる形でだけ輝くのではない。
死により永遠となる。

最近、そう思えてなりませんほっこり


*聖書より*
新約聖書 ローマ人への手紙 12章2節

この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。