ここ数日、色々と「犬たちに問題」がありました

 

特にこつぶが酷く、

 

💩をあちこちに漏らして歩いたり、尻尾をぐるぐる追いかけたり、手をかじったり…

 

夜はなかなか寝付かず、うろうろしては尻尾を追いかけて

 

しぶしぶ、しじみの元へ帰っていきます。

 

 

とにかく、落ち着かずにいたのです。

 


(昨日朝のこつぶ)

 

私は最初、寒さもあってイライラしてるんだろうな、💩もお腹を壊してるんだろうくらいにしか

考えていませんでした。

 

そして私はというと

 

仕事が相変わらず多忙、時間通りに進まぬイライラ、そんなイライラする自分に自己嫌悪の繰り返しでしたぐすん

 

何かが上手くいっていない私です

 

 

「狂った調子には、何か間違った行動をとっている」

 

 

頭を巡らせていましたが、それに気づけずにおりました。

 

 

 

 

 

 

 

そしてその夜、ケアマネージャーの勉強をしたり、夜勤の支度で忙しくしたり

仕事のイライラから疲れて部屋で倒れてしまい

 

そのまま階段を無造作に上がっていく振り返り様に、

 

階段下で悲しそうに見上げる、こつぶの顔がありました

お気に入りのおもちゃをくわえたままでした


 

これだ、これが間違いだと頭をめぐりました

 

あの子と向き合ってないじゃないか、と

 

 

 

最近、こつぶが💩をそこらへんに漏らしトイレでしないことがあると母から報告も受けていた

 

尻尾や手を噛む様子もあった

 

 

摩周丸も、クッションを掘る動作があった

 

 

明らかにストレスのサインじゃないかと。

 

 

でも、こつぶのことは寒いからお腹を壊しているんだな くらいに判断し母の相談を真面目に聞かず

 

摩周丸には叱ってしまいましたぐすん

 



 

原因として考えられるのは、運動不足に加え接することが減っていたことでしたえー?

 

寒さや疲れを理由に散歩に行っても犬たちに十分な運動の機会を与えられず

 

寒さで心臓を悪くしたつぶを思い、

「寒空に1分でも出したら死ぬのでは」と無意識に思い

早々に散歩を切り上げて帰ってしまう私(気温は必ずしも低いわけではなく、最近は雪の量も減ってきているのに)

 

仕事でのイライラを犬にぶつけまい、と出迎えてくれたこつぶや摩周丸を振り切り

 

 

2階へ上がり、ベッドに倒れてしまうぐすん

 

 

これじゃ、シンとつぶが死ぬ前のダメな私じゃないか

 

 

情けなくて涙が出ました。

 

 

4匹に謝り、遠回しながらも私を心配し犬たちの体調について話を伝えた母へも

謝りました。

 

 

 

「疲れてるんだろうな、と思ってたよ。でも、そういう時はちゃんと面倒見なさい!なんて子供の頃みたいなことは言えない。

 

いくら母さんが可愛がっても、こつぶは一番ちやみさんが好きだからね

 

ここのところ、さみしそうにしてたんだ

 

寒さを言い訳にしないで、犬たちにしっかり運動させてあげて遊んであげなきゃね。

 

母さんも家事の片手間だったから、気遣ってやれなかったからごめんね。

 

明日から散歩をよほど寒さや悪天候じゃなければ、増やしてみようね。

 

犬はもともと、自然の中で生きてきた生き物。

 

無理に家に暮らさせるように人間がしただけなんだよね。

 

去年のつぶのことで寒さに臆病になってたけど、どのくらい歩けるか見てみよう!」

 

 

母が相変わらずの

子である私を見守ってくれている姿勢と優しさに感謝しましたえーん

 

寒さを言い訳に

5分くらいにまでなっていた散歩

 

朝、夕と2回の散歩へ…

 

(しじみも嬉しそう)

 

今日はプラスの気温、雪も解けて歩きやすい。

 

 

母と私で歩くと…

 

 

40分くらい、駆け回るくらい犬たちは歩いたのでしたニコ

 

本当は走りたかったんだね。疲れた私の顔を見てたくなかったのでしょう

 

もっと一緒にいて、甘えてたかったんでしょう

 

 

みんな、未熟な母でごめんなさい

(ブログの概要の未熟な大人、ちやみですね本当に)

 

シンとつぶを失う経験をしながらも、また同じことを繰り返していた自分が恥ずかしく、情けなくて仕方ありません。

 

久々に室内で全力で摩周丸やこつぶ、真珠と遊びました。(しじみは遊ぶことはしません)

 

 

本当に、嬉しそうにしてくれていて

 

私自身も、もやもやしていた心が晴れてきていたのを感じましたショボーン

 

 

教会での牧師先生の言葉も思い出しました。

 

同じ過ちを繰り返し、罪を犯してしまう私はどうすべきなのかわからず

牧師先生に思い切って話したことがあったのです。

 

 

「神を信じている、と私たちは言いますがこの中で正しく生きている人は誰もいません。

人は脆いですし、欲にも負けてしまうこともあります。

私もそうです。クリスチャンだからといって正しくなれる訳ではないんです。

 

ですが、ちやみさんこれだけは覚えていてくださいね

 

 

それでも、親が子が転んでも支えて抱き起すように

 

父である神様はけして、ちやみさんを責めたりはしません

 

その罪に気が付き自分を悔いているのをご存じだからです

 

大切なのは罪を知り、父である神様から離れないことです」

 

 

 

 



こつぶは今日、💩をきちんとトイレでしました。

尻尾を追いかけたり、手も噛まず

摩周丸も掘る動作はなく…

 

やはりストレスが関係していたのでしょうえーん

 

夜もこの通り、全く起きないくらいぐっすりです。

 




母は

 

「犬も、人間の子育ても似てるね。母さんも仕事が忙しくてちやみさんを見ていなかった時に

いじめられるようになっていて…どんどん周りとうまくいかなくなっていってたよね

 

精神的な病気も原因にはなるだろうけど、子育ても

 

大半は親が子供をしっかり見てない、わかってやってない、自分のことばかり考えてて

 

親に見てもらえない子供が傷ついて、どんどん不安定になるんだよね。

 

人は自分が原因だなんて信じたくないから、母さんも最初はちやみさんに原因があるって怒ったこともあったね…

 

本当に悪いことをしたよね。

 

母さんはそれに気づくのにすごく時間がかかったけど

 

ちやみさんはここで気づいたんだもの、こつぶ達はきっと怒ってないよ

 

シンとつぶを亡くしても、どんなに大きなことがあっても痛みを忘れるのは人間って早いからね

 

 

でも、人間って完全にはなれないって前教会で話があったんでしょう?ニコ

 

そうなんだよ。でも大事なのは気づいて自分が悪いことも受け止められる人になることだね。

自分が正しいなんて100%思わずにね。


あの頑固だったちやみさんが謝れるようになっただけで

 

母さんは、凄く変わったなって思ってるけどね!」

 

 

母のフォローが、ますます涙を誘いましたぐすん

怒られるよりも

 

優しくされる方が心にこたえるのだ。

 

 

 

出だしに書いた、「犬の問題」

 

おもらし、いたずら、吠える、食糞、手を噛む…

 

どれも人間にとっては、対峙するのは辛いもの…

 

中には病気や遺伝が原因のものも、もちろんあるのですが

 

母の子育ての話を耳にし、思ったのです。

 

 

 

「犬の問題」=「飼い主の問題」

 

の時も多いのではないかとショック

 

 

今回の私の失敗のように、忙しさやら疲れやらでイライラして

散歩をおろそかにする、愛情をおろそかにする

=こつぶはストレスで構ってほしさから💩を漏らす、手を噛むなどした

 

食糞

=育った環境も影響することもあるが、ご飯の栄養価が足りていないと栄養を取り戻そうと、本能的に便を食べてしまう

粗悪なフードだけを与えるなどしていても起こることがある

 

 

特に、留守番の長さによる飼い主からの愛情の欠乏は

最も犬にはダメージが大きいとされています

 

シンとつぶを失った時、二度と同じことはしないと誓ったのに

 

私はまだまだ幼犬のこつぶも、みんなのことも傷つけてしまったことに

 

ただただ、反省です。

 

 

人間の子供に例えたら、普通に虐待に近いですからね

 

心のどこかで、犬と人間とで区別してしまっていた

 

自分が恥ずかしいです

 

 

 

とはいえ母や 牧師先生がお話していたように

 

罪から逃れられない弱さがあるのは、これからも持って生きなければなりません

 

 

つぶの死からまもなく1年、

 

 

私はまだまだ未熟な大人であり、母なのだ

 

 

でも、投げ出す方がもっと恥ずかしい

 

 

 

 

また、強く でも肩の力を抜きながら

 

頑張ろうグー

 

 

 




みんなごめんね

 

 

十字架聖書より十字架

「義人はいない。一人もいない。悟る者はいない。すべての者が離れて行き、

だれもかれも無用の者となった。善を行う者はいない。だれ一人いない。」

 

(新約聖書 ローマ人への手紙 3ー10~12)

 

 

人が完全なる者となることを求めるよう、聖書の中でイエス・キリストも話されていますが

わたしたち人間は、完全たる者になることは困難を極める

だからといって 罪を犯していい理由にはならない

罪に鈍くなっている時が、人間にとって最も恐ろしいものに思う。