先日、姉が仕事帰りに買い物に行き
自分で食べるドライフルーツを探しに行ったようです
そして、売り場でオランダ産チーズとフランス産のチーズが目に入り
姉の頭に浮かんだのは…
姉の新しい相棒、真珠だったとのこと(他の子たちは浮かんでないんですかね)
どちらもなかなかのお値段でしたが、姉は犬たちにお土産としてチーズを買って来てくれました。
4匹とも大喜び、真珠も飛んだり跳ねたりして姉におねだりしていました
でも、おいしいものを持って帰ってきて犬たちに与えている時、姉はいつも話します。
「シンにもおやつを食べさせてあげたかったな。」
「つぶもきっと食べたかったろうな」
シンの最期に間に合わなかったこと
つぶの亡くなる前日、つぶを邪魔扱いして相手をしなかったこと
姉は今いる4匹へ最大限の愛情を向けていますが、
それでもどうしても、2匹へ会いたい気持ちは永遠に続くだろうと
元気になった姉ですが、思いは変わりません
その後すぐ、遠方で暮らす弟から連絡がありました。
添付されていた写真には、
摩周丸じゃないか!今とヘアスタイルが違うけど
実はこれは、年末に我が家に帰省した弟は帰ってから
犬たちに会えないさみしさから、少し元気がなかったようで
恋人さんが弟の為に作成したそうです
優しい恋人さんでよかったなぁと…とはいえ、弟の女々しさというかなんというか…
余談ですが、弟が8歳の頃、私がピアノのコンクールで本選に出場することになり遠出することとなって
シンをペットホテルに預けていったのですが(その当時、つぶはまだいなかった)
弟がホテルで「早く帰ろうよ、シンが可哀そうだよ」と大泣きして、次の日早朝に観光もせず帰った思い出があります
今も裁縫や可愛い雑貨集めが好きだったりと、姉である私ちやみの趣味が「ボクシングの応援」「モータースポーツ観戦」である為
母はよく「二人の性別を生み間違えてしまったみたい」と言っています(笑)
(弟作のプイプイモルカーの人形。裁縫好きな男子って漫画の世界だけと思ってました)
そして、弟は「しじみ」を自ら作成。
「これから、こつぶ・真珠を作って落ち着いたらシンとつぶを作る」とのこと。
「どうしてシンとつぶは後なの?」と聞いてみると
「作ってる内に泣くから」と
「今やっと、写真は観れるようになったけど動画は観れない。まだ辛い」
弟は、仕事の多忙さや交友関係の広さで、犬たちとの関わりは私たち姉妹より薄くなりつつありました。
つぶの亡くなった日、一時帰宅しつぶに会いに戻りましたが残念ながら既につぶは亡くなった後でした。
感情を表にすることが少ない弟が、つぶの遺体にすがりつき泣く姿は
今も忘れられません。シンの死も、既に転勤後だった為帰省時にはもう亡くなっていました。
一時期、私は姉とも弟とも不仲でした
中学時代の私はいじめから引きこもり、ゲームとパソコンに依存していたことから
弟の友人が遊びに来ていた時に鉢合わせとなり、「汚い姿で出てくるなや!上行ってろ!」と
見すぼらしくなっていた私に対し、弟が激怒することが多かったのです当たり前ですけどね
ですが、引きこもりであってもシンとつぶの散歩だけは欠かさず、シンとつぶを抱っこしたり
散歩から帰って来ると「ご苦労さん。散歩なんて偉いじゃないか!」と冗談を飛ばしてきて
シンとつぶは、気まずくなった私と弟の関係にも重要なものでした。
当然、姉もそんな私が恥ずかしいからと距離を置いていたのですが
シンとつぶを通し、私には言葉があり完全に社会と遮断されることなく
姉との会話も、何とか続けられていたのでした。
私たちきょうだいにとっても、2匹の存在はとても大きかったのだと
本当に思わずにはいられないのです
姉と弟、私と
それぞれ2匹に対しての晩年の向き合い方は、後悔が残るものでした。
でも、私たち3人は2匹への愛情を失っていたのかというと
そういったことでもありませんでした。
何度も書いているように、15年という月日は私たちには「いてくれて、当たり前」
そういうものに変化してしまっていました。
私たちは祖父母との関係も薄く、葬儀には礼儀では出ても
涙は全くありませんでした。家族を失う経験がこれが初めてのことでした。
仕事から帰ると、出迎えてくれる犬たちに
私は「今日も待ってくれていたんだね」と思うのです
そんな思いは、いじめられて帰ってくる学校の日々以来でした。
幸せな時こそ、大切なものを見失いやすいのです。
家族それぞれに後悔はあり 時が戻せたらと思いますが
たとえ何度やり直そうとも、一点の後悔も失敗もなく日々をこなすことは
人間には難しいですから、今は二匹亡き後の我が家と、去年までの私たちを思い
それぞれが大きく成長したことや、
しじみや摩周丸も元気にしており
こつぶ、真珠とも出会うことができ
シンとつぶが喜び、安心できるよう堂々と生きることだけが
二匹に対しできる、罪滅ぼしなのだとこれからも頑張ります
聖書から
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」
新約聖書・マタイの福音書 5章3ー4節より
2匹の死の後、多くの苦しみを支えてくれた2匹に対して
私はいつしか感謝を忘れて生きていました
いじめもなくなり、幸せを得た筈なのに 心は子供の頃よりずっと冷え切ってしまったように思えました
イエス・キリストを信じ、祈るようになっても不完全な自分に嫌気がさしてしまうことがあります
ですが、初めて神様を信じたつぶの夢を見たあの日は
今以上に、自分の罪にも自覚なく何も持ち合わせていない愚かな自分が、まだそこにいた
それでも、こつぶを与えてくださり 多くの幸せを授けてくださった
神様は私たちの真の父であり、親であり
たとえどこまで落ちぶれようとも、罪を犯したとしても
苦しむ時は慰めてくださる。それでも、私たちを見捨ててはおられないのだ