こんにちは。

日々、粛々と

防災用品を集めている毎日です滝汗

 

 

被災地は断水解消の

めどがたっていないようで

避難生活の過酷さを伝えるニュースを見ると

ため息しか出ませんね悲しい

 

 

私は東日本大震災当時、

関東に住んでおり

地震発生後、数日間断水しました。

 

我が家のまわりは被害は少なかったのですが

なぜか、うちのアパートは断水解消が遅くてね

なんか建物の構造によって違ったらしいの

 

 

夫は震災の前日、3月10日亡くなったのですが

14日の葬儀は、

3日間風呂に入らない状態で参列滝汗

 

その日の夕方、隣の公園の水道から

水が出ることを発見しましてね電球気づき

(市が管理する大きな公園の水道は出なかったけど)

 

上京していた義母と義兄3人がかりで

(義父は足が悪かったので娘の子守り)

3階までお水を運んで

3日ぶりにお風呂に入りましたデレデレキラキラ

 

その翌日、義父母達はいったん帰るので

またできる限りのお水を運んだのですが

 

この先まだまだ水道が復旧しなかったら

3歳児連れで水汲みできるのか…不安

 

と不安になったことを覚えています。

 

幸い、数日後から少しずつお水が出始め

1週間でなんとか復旧しましたが泣き笑い

 

 

地震直後の食事は、ガスは使えたので

 

・カップ麺

・ご飯(ガス火で炊く)

・ホットケーキ

 

電気が復旧してからは

製氷機の氷をとかし、

ホームベーカリーでパンを焼いて凌ぎました。

(義父母らが滞在中は大変でしたが

娘と二人なら大したことありませんからねおいで

 

物流が停まって、スーパーが閉まりましたからね。

コンビニの棚もガラガラで。

なので家の中の食べ物を

総動員しました。

 

 

飲料に関しては、

葬儀やらなんやらで、夫の会社の人が

来ることが多かったので

その都度お水やお茶を

差し入れてくださったのが感謝ですお願い

 

地震発生直後、地元の友人から

「すぐ近くの自販機に走って

飲み物をできるだけ買ってびっくりマーク

とメールが来て、

「なんではてなマーク

とその時は思いましたが

 

すごい的確なメッセージだったわ真顔

 

 

当時の写真。

常備してあったリッツの保存缶と

差し入れしていただいたお水。。。

 

 

一番問題のトイレは、

夫が焼酎5ℓペットボトル数本に

お水をためていたので大丈夫でしたOK

 

 

しかし、お水って本当に

毎日何気なく使っていたんだなぁ、と

思い知りました悲しい

断水中、出ないってわかってても

つい作業の流れの中で

蛇口ひねってしまうんですよね。

で、「あ、出ないんだった絶望」って。

 

 

「彼女の1日は、水汲みから始まる」

というCMがありますが

 

 
そんな日々はほんの短い間でしたが
水の大切さが見に染みました悲しい