回顧録
いよいよ試合会場へ到着。
対戦相手は春季全国大会準優勝のチーム 。
ネームバリューもあるし過去にジャイアンツカップにも出ている名門。
でもここまで来たら相手がどうこうではない。
ベストを尽くすだけだ。
これまでの全国大会でトップのチームとは差は全くなかった。
いかに自身の通常通りのパフォーマンスを出せるか。
同じ会場では先に知っているチームの試合が行われていた。
中学1年の頃から知っている子らが目の前で一生懸命に試合に臨んでいた。
皆んなでかくなり、上手くなり、そして声変わりして高校生みたいな声を出している。
人の子の成長までしみじみ思ってしまう…
いやいや、うちはこれからこれから
試合前にオーダーを発表された。
監督は試合前に、
『俺は優勝するつもりでオーダーを組む。思い出作りに来たわけじゃない。だからその場その場で力を出せるようにスタンバイしろ』
と言われた。
裏を返せば、最後だからと情で出さない。
あくまで勝ちにいくので、よく見る"最後だけ記念にちょっと代打"などの策は取らないと言う強い意思表示だった。
うちの先発マウンドはチームのエースの子。
この3年間ずっとチームの顔として投打で牽引してきた。
彼がいてくれたから息子も追い付こうと頑張れた存在だ。
思い返せば互いに違う小学校ではあったが、2人ともその名前は知っていた。
市が違ったので試合は出来なかったが、かなり有名だったし、何より噂の彼と同じチームなれると聞いた時はワクワクした。
そんな2人は3年間キャッチボールのパートナーでもあった。
彼も県外のそれも甲子園常連校に進学を予定している。息子とは地方が違うのでこの2人が次に投げ合うならば甲子園とか神宮しかない。
大事な試合を託されたエースは初回はしっかり抑えた。
我がチームの攻撃となり、自慢の快速コンビからの打順。
先ずは秀才俊足の先頭バッターが四球を選んで出塁。
この1、2番コンビはうちの自慢の外野陣だった。何せ2人とも足が速い。
だって片手間でやっていた陸上で全国大会に出ちゃうくらい速い。
守備でも息ぴったり。
しかも片や成績もオール5。
思い出されるのが小学校6年で対戦した時、センターでの彼の動きを一目見て凄いセンスを感じたのは忘れもしない。
もう1人も息子と選抜チームから今のチームに誘いあって入団し、その身体能力はずば抜けて、いつも明るくプレーでも性格でもチームになくてはならない。この子は野手では1番伸びただろう。
先頭ランナーは出せたが、やはり春全国2位はスキがなくそこから2者連続三振。
球速はそこまで無いが、左から繰り出すストレートはキレがあった。
2アウトながらうちは頼れる4番。
この子も県外超強豪にいく。しかもかなりの。
お調子物でめありいつも笑いを忘れないが、スイッチが入ったバッターボックスでのオーラが凄い。
もう後年なんかはどこに投げても打ってしまう。
県内No.1の強打者に成長した(元から凄かったけど)
とくに進学先を決めてからの集中はすさまじく、前大会のMVPを受賞している。
頼む…
先制点を…
しかし振り抜いた打球は残念ながらアウト。
先制ならず。
すると次のうちの守りの回。
コースギリギリを攻めたエースが2つの死球を出し、更にフォアボールでランナーを貯めてしまい、そこからタイムリーを打たれて先制される。
後続は断ち切り1失点。
だが、ランナーをこれだけ出して強力打線相手に最小失点で乗り切った。
回を追うごとに相手ピッチャーはリズムに乗り始め、中盤までうちの強力打線を完璧に抑え始める。
うちの打撃陣も先制されたからか、長打狙いの硬いスイングが目立つ。
なんか悪い時の流れだ…
3回からうちはスパっと中継ぎエースに変えた。
これまで彼が指導者から絶大な信頼を得ており、3年になりよく投げるようになった。
緩急が絶妙でいつも寡黙に仕事をこなしてきた子。
ただこれは俺の私見である。
個人的な思いではあるが、後出しジャンケンではなくずっと言い続けてきた懸念がある。
確かに彼は素晴らしい個性を持ったピッチャーだ。
あれほど緩急が絶妙で、ランナーを出しても冷静な子はそうないない。
特に緊迫した場面で思い切って"緩いボール"を真ん中に投げれる胆力は凄い。
文句一つ言わずに自分の仕事をいつも完遂させてきた事から、指導者や周囲の保護者も彼を絶賛してきた。
俺は彼を小学校の県選抜チームから知っている。
以前にも書いたが、息子の小学校最後の試合でレフトに入っており4エラーした子だ。
あまりにポーカーフェイス過ぎて緊張していても周りが気付けない出来事だったし、しかも1番の集中しどころで硬くなってしまうメンタリティがあった。
それから3年経ち彼も成長し、そんな傾向が減ってきたようには感じたものの、指導者や周囲は彼が緊張しない子だと決めつけていたのは観察不足だと思う。
確かに彼も成長し、防御率の高い素晴らしいクラッチピッチャーになった。
緩急の差でストレートも120後半だが、"それ"より速く見せる技術もあった。
だがそれが通用するのはいわゆる地方や中堅程度までと感じていた。
いわゆる全国レベルのバッター相手ではいくら速く見せようとも実際は"やはり120㌔代"の球速でしかない。
こう見えて一つの事に極度にハマってしまう性格の俺は、色々な地方の試合やカテゴリーの試合を見に行った。中学硬式、軟式、高校野球、大学野球などなど。
その中でも1つの傾向が見てとれたのが、関東や関西の強豪チームで勝ち上がるチーム、いわゆる中学でも全国レベルと言われたピッチャー、バッターを生観戦して得たデータ。
細かい数字は割愛するが、バッティングが強いジャイアンツカップに出てくるようなチームや、全国でも名を聞くようなチームのバッティングは、緩急で1巡目くらいは通用するが、2巡目くらいからそれが通用しなくなるパーセンテージが高くなっていた。
強いチームや高いレベルで練習しているチームは、バッティングにおける軸が動かずに間を作ってタイミングを合わせてくる傾向が9割以上だった。
つまり緩急だけに頼りきりになると、間を作るバッティングが染みついたチームでは、バットが遅れてでも反応出来てしまいしっかりコンタクトし、かつ強い打球を作ってくる。
逆にそのような強打のチームを抑えこんでいる傾向が顕著だったのは、要所で速いストレートで力押しが出来ていたチームだった。
しかもそのピッチャーの球速の大半が130㌔中盤以上だったのが顕著だった。
今までその中継ぎの子は短い2イニング以内までの起用ばかりで、打者2巡、3巡目までの起用が皆無だった。
ロングリリーフや長いイニングでの傾向について指導者も周囲の保護者も見過ごしていた。
"ピッチャーの基本はストレート。
そのストレートで真っ向勝負。
来ると分かっていても打たせない球速のあるストレートが最後には1番大事。
特に中学三年くらいになれば小細工は通用しなくなる。
だから球速のあるストレートにこだわれ、中学で140を超えるつもりで鍛えないと全国レベルには通用しない"
これは息子が1年の時に指導してもらった元プロ野球選手、プロコーチであり強豪高校のスカウトをしてくださった"あの方"の言葉だ。
息子はそれを真摯に受け止め、今日まで球速と回転数にこだわってきた。
俺もその傾向を理解していたから球速をあげる練習やフォームを息子に教えてきた。
それを思い起こしながらマウンドを見ていた。
すると登板した回こそ緩急で抑えたが、次の回にはピッチャーは捉えられてしまった。
やはり緩急と言えど"急"の方が反応出来てしまう球速であれば、予測しなくても反応出来てしまうのが先に述べたバッティングの強いチームである。
投げれど投げれど当ててきて、それが長打になったりしていた。
連打を浴びて気付けば終盤までに4失点。
それならばうちも反撃するのが野球だ。
しかしなかなか力が発揮出来なかった。
終盤になり前キャプテンの意地の安打、
序盤でマウンドを降りて外野に入ったエースが打ちようやく反撃開始か!
となった。
前キャプテンは1〜2年の2年間キャプテンとしてチーム の中心だった。プレイヤーとしても人柄としてもキャプテンだった彼。
だが3年になりいきなり新監督就任に伴いキャプテン交代となった。なぜキャプテン交代か本人も分からないままの交代。
チーム入団当初、彼はキャプテンをやるつもりはなかったが当時の監督が期待を込めて指名した。
やりたくはなかったが、選ばれたからにはと彼は2年間チームの先頭に立ち、色々な我慢もしながら形になっていた。
が、突然のキャプテン交代により"この2年間の頑張りは何だったのか?"と練習態度も試合でもネガティブになりスランプにも陥った。
だが彼も自らと対話し、真面目にコツコツと歩みを進めた。吹っ切れてからは元の実力を発揮して秋のローカル大会でもMVPを受賞した。
そんな彼の意地が見えた1打。
エースの安打と2アウトながらスコアリングポジション。
ついに自慢の爆発的な打線が点火したか!に思えた。
だが次のバッターは"見逃し三振"となり反撃の狼煙な消されてしまう。
半ば期待はしつつも、結果はある程度見えていた。
このバッターは1割台の打率の現キャプテンだった。
"キャプテンは常にグランドにいるもの、結果に関係なくスタメンで出す"
と言う監督の"唯一理解出来ないポリシー"で常にスタメン起用にれてきた彼。
だが数字的な結果も伸びず、守備でも要所でのエラーなどが頻発しチームを牽引出来ていなかった。
そんな彼もこの一年慣れないキャプテンを指名されて苦しんだのだろう、自主練もしてきたのだろう。
だが野球の神様は見ていたのだろう。
彼に『for you』の精神が欠けていた事を。
急造キャプテンとは言え、彼は常にチームメイトに対し命令口調だった。
それが"チームの為と言う根"があれば皆んな付いていったのかもしれないが、そうは感じられなかった。
結局それがチームバッティングに繋がらなかったし、それをしてこなかったのが今日までの数字に表れている気がしてならない。
打てなかった事は仕方ない。
彼も打ちたかっただろう。
しかしこのチャンスはモノに出来なかった。
唯一の反撃の兆しも見事に火消しされベンチには重い空気が流れた。
試合に見入ってしまい、すっかりブルペンを見ていなかったが、よくよく見ると息子が既に肩を作っていた。
残されたチャンスは最終回のみ。
その前にチームに勢いをもたらす必要がある。
6回も粘り強く投げていた中継ぎエースも、更に打たれて2アウトでまだスコアリングポジションにランナーを出した。
これ以上の失点はとどめとなる可能性が高い。
すると監督はブルペンに指示をだして、息子の名前を審判に告げた
監督の予定では初戦に勝てば、息子を次の試合で先発させる予定だったのだが、この場面は息子しかいないと準備をさせた。
最後のマウンドに向かう前に監督が大きな声で
『お前のピッチングで流れを持って来い!』
と送り出した。
仲間の反撃を呼び込む楔となるべく中学最後のマウンドへ息子は向かった。