3月の末以来の更新…

いたって元気に過ごしていますが、気が急くような毎日です。


この一か月ほど、営業所の事務を一人で担ってきて、それにも慣れてきました。

財務部からまだ不幸の電話が来ないので、決算処理は奇跡的に上手くいったようですチョキ



で、今度大変になっているのは、職場の閉鎖に関することです。

上司らが早くから画策していた割には、本当に後手に回り、

私の異動先の営業所はまだ名前も決まっていなければ、電話の開通すらしていないそうですえーん


だから、取引先に対して何の挨拶や案内もままなりません。

これで5月1日付でオープンできるのやら⁉︎


それはそうと、連休中は連日引越し作業となりそうなので、何の予定も立てられないままです。

まあ、別に何の予定もないんでけど…泣き笑い



白河の祖父母宅の遺品整理が冬の間ストップしていましたが、夏頃にはついに更地になる予定です。

これは一刻も早い方が良いと、10日ほど前に決めて、昨日は母と二人で日帰りで帰省しました。


遺品整理とは言っても、もはやゴミ片しのようなアセアセ


私は昨年の5月と6月と作業しましたが、やってるうちに所在が分からなくなってしまったものがあって。

その後、母と伯母が作業したのもあるし、解体業者さんの下見もすでに入っているので、色々物が動いてしまって、思い出せないことばかりです。

ゴミ袋をひっくり返してまでそれらを探したんですけど、見つかりませんでした。


それでも、また新しいものをみつけて箱詰めし、自宅に発送しました(現在輸送中)。

取っておきたいものはまだあったのですが、本当にキリが無くて、諦めざるを得ませんでした。



祖父のこさえたアルバムを見ていて、白河(母方)の祖父母と、こっち(父方)の祖父母が一緒に写っている写真が結構あったのが意外でしたね。


そこに、父方祖母の弟夫婦(大叔父夫妻)の計6人で西郷村の甲子温泉に宿泊していました。

そういえば、白河の祖母からこの時のエピソードを聞いたな…と思い出しました。


まあ、色々気を遣ったことでしょう。

でも、一番気を遣ったのは大叔父達だと想像しますw


父方の祖父母に関して、楽しかったことはほとんど思い出さないのですが、写真の中では妙に楽しそうに見えました。

あんな笑顔を見たことあったかなー?って。


自分の脳内で消去してしまっている部分もあるけど、

我が家は平成の世になっても家父長制が続行している感じがあったから、自分が大きくなるほど苦しかったです。

嫁=他人、孫は嫁の付属物。嫁と孫は居候みたいな扱いでした。



その反面、白河の祖父母はハートフルでしたから、おかげでまだまともな感覚を持っていられるのだと思います。

自分達のことを差し置いても孫ファーストだったし、娘達のことも大切にしていました。


できることなら、あの家ごと取っておきたいくらいなのですが、それが叶わないことを分かっていますから、

感情を押し殺すように、心を冷め切らせるように、深く考えないようにしています。



この35年余り、白河の祖母と、あの家と、過ごせただけ良かったのかなー。


白河の祖父とは23年ほどの付き合いでしたけど、もっともっと長い時間を過ごしたかのような、強烈なインパクト?

強い影響力を今でも感じていて、私の中に確実に祖父が生きてます。(笑)



これは気が付いて一年くらいになりますけど、私の顔は幸か不幸か、父方の祖父にだんだん似てきていますガーン

祖父の姉も瓜二つでしたので、私も歳を取ったらああなるんだなーと思いますショボーン

目、鼻、口、眉の形と配置がどうも同じ…。


ただ、お酒が好きなところ(私より強くはなかった)と、歴史が好きなところは、間違いなく母方の祖父似と言われてます笑い泣き


喜怒哀楽が激しくて(それも似てる?)、それはそれで子どもながらに苦労しましたけど、今となっては楽しい思い出ばかりです。