糸島は中津だった⁉ | 中津祇園研究室

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地元中津の中津祇園を中心に
山車の出る祭礼を研究
大分から新たな視点で
山車の伝播状況や祭礼を考えます。

未熟ではありますが、
よろしくお願いいたします。(^o^)/~~

以前、唐津と中津は小笠原藩つながりという内容を書きましたが、

 

今回は唐津に隣接する糸島は中津藩領だったという話です。

 

江戸時代の中津藩は

中津下毛だけでなく糸島と広島に飛地を持っていました。

 

糸島市は東は福岡市・西は唐津・南は佐賀に隣接しています。

 

 

この地域は

中津藩があったからか否かはわかりませんが

中津との結びつきは強いようです。

 

例えば、糸島と隣接する福岡市西区には今津人形芝居というものがあります。

 

これは中津市の北原人形芝居の流れを汲むもので

現存する人形の多くの頭は中津製ということであります。

 

 

また、唐津ではくんち以外にも山笠の出る祭りがたくさんありますが

 

小友祇園の囃子は、八屋祇園の神山に似ています。

 

浜崎祇園の囃子は日田祇園に似てますが、下記の動画を見ていただくと

 

大分市の萩原天神社夏祭りの囃子が

浜崎祇園の囃子のうちの1曲と同様であることがわかります。

 

このような類似性が、

どうして起きたのかは今となっては分かりかねますが

 

何らかの文化交流があったのは間違いありません。

 

ちなみに、

大分市の場合は大分市の中心部ではチキリン囃子が主流であり

 

中津祇園でジャンギリといわれる

チキリン チキリン チキリン コンコンです。

 

 

※下記は参考動画

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 


北原人形芝居