2階建て祇園車の祖とされる祇園車で
大工は賀来氏という
汐湯や茗荷屋・蓬莱観などを建てた有名な方である。
また、台輪の彫刻が同じことから
諸町・森祇園・立石の山車との関係が深いことが
予想されることは以前にも書いたとおりです。
他の車とは全く違うところがあります。
それは柱構造。
小柱(男柱)の上方がボルトで下方に輪っかがあります。
通常、中津型の祇園車は下方に支点となるボルト?があり
大柱(女柱)の底面は、船底と呼ばれる丸みを帯びた形となっており
柱を倒すことができるようになっています。
ところが古博多町は、支点となるべき下のボルトはありません。
あえて言えば、上のボルトを支点として傾ける構造なのです。
ところが、桁梁が女柱の上にのっており
山車そのものを傾けるような機能は全く持ちません。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160806/01/tube001007/9a/2c/j/o0540096013715984087.jpg?caw=800)
更に後ろの柱は、通常の男柱・女柱を1本化しており
2本分の太さを持った柱が一本たっています。
(ただし、この柱は改修する中で1本になったような気もします)
(側面のターンバックルは近年付け加えられました。)
このような構造は、他の祇園車では見られません。
私から見て、他に複雑なのは新博多町の車がありますが、
新博多町の場合、可倒式の山車の技術があり
そこに、中二階を持ちつつ中央に二階を持つという
外から見ても複雑な構造をしていますので、
他と違うのは納得できるのですが、
古博多町の場合は
何故に違うのか不思議な車です。
ひょっとしたら、初めての二階建てであったが故の工夫かも知れません。
いずれにせよ、
早期に組み立てる様子を
記録しておいた方がよいのではと思います。