謎の多い祇園車 古博多町 | 中津祇園研究室

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地元中津の中津祇園を中心に
山車の出る祭礼を研究
大分から新たな視点で
山車の伝播状況や祭礼を考えます。

未熟ではありますが、
よろしくお願いいたします。(^o^)/~~

古博多町祇園車
古博多町の祇園車は、

2階建て祇園車の祖とされる祇園車で


大工は賀来氏という

汐湯や茗荷屋・蓬莱観などを建てた有名な方である。


また、台輪の彫刻が同じことから

諸町・森祇園・立石の山車との関係が深いことが

予想されることは以前にも書いたとおりです。



諸町 祇園車

森祇園の祇園車

立石の祇園車

ただ、古博多町の祇園車

他の車とは全く違うところがあります。


それは柱構造。



古博多町 正面
よく見てみてください。


小柱(男柱)の上方がボルトで下方に輪っかがあります。


通常、中津型の祇園車は下方に支点となるボルト?があり

大柱(女柱)の底面は、船底と呼ばれる丸みを帯びた形となっており

柱を倒すことができるようになっています。


ところが古博多町は、支点となるべき下のボルトはありません。


あえて言えば、上のボルトを支点として傾ける構造なのです。



ところが、桁梁が女柱の上にのっており

山車そのものを傾けるような機能は全く持ちません。






更に後ろの柱は、通常の男柱・女柱を1本化しており

2本分の太さを持った柱が一本たっています。

(ただし、この柱は改修する中で1本になったような気もします)


古博多町 側面
また、側面には二階を支えるためと思われる補助柱もあります。

(側面のターンバックルは近年付け加えられました。)

このような構造は、他の祇園車では見られません。


私から見て、他に複雑なのは新博多町の車がありますが、


新博多町の場合、可倒式の山車の技術があり

そこに、中二階を持ちつつ中央に二階を持つという

外から見ても複雑な構造をしていますので、

他と違うのは納得できるのですが、


古博多町の場合は

何故に違うのか不思議な車です。


ひょっとしたら、初めての二階建てであったが故の工夫かも知れません。


いずれにせよ、

早期に組み立てる様子を

記録しておいた方がよいのではと思います。