函館、小さくて、貧乏くさい町だけど。
生きることには充分な恵みがある。
来年、力丸が東京で修行始める、オイラもまた、東京との繋がり往き来が増えるかと思うが、自分が育った大泉とか思い出すと、ここも、やはり窮屈な思いでしかない。
結局、オイラはどこにいても、酸素不足な感じがするわけだ。
だったら、自然の息吹をうけられる、函館は最高なのだと、再認識した。
生きる実感。それが一番の大事だ。
肉をかいたいして、そいつを食べられる状態にまでして、生きる。
生首から、脳みそ壊さないように取り出すたび、血のにおいで、うっとなる。コレが生きるために、肉をほふるということだ。
イキイキした、太い木をチェーンソーで倒す、きのこなを浴びて、目がしょぼしょぼする、木の重みに体力がもっていかれる。
土をこね、器をやき。ジマの絵をかく。
エロ位妄想しながら仏像や女神の彫像を作る。
こんな日常はやはり、忙しすぎ、へとへとだが、生きている実感はある。
函館に住むことは、こんなに充実している。
東京にはない、煩わしさで、たのしさでもある。
他のとこから来た学生や自称オシャレな文化人気取りが、函館何もない、ださいよね、活性化したいよねーいわれると、何も見えてないんだなぁと思うようになった。
あーオイラも函館人になってしまったのかね?
いや、年月をかけてかけて知ることもあるということだろう。
ダサくて、最高たのしい函館。
働くが、本日も、ハフー、
