今日は この記事  の続きになります。


自宅マンションの屋上の給水塔から飛び降りようとして


その後、【あなた何かに負けない】という決意を胸に

ビールを飲み干してから旦那のいる家に帰った。


というところの続き。。。



殴られたことやそれから逃げたいことをカウンセラーさんに話した所


カウンセラーさんは病院に一時入院する事を勧めて来た。


今から十数年前はまだDVなんて世の中に認知されておらず


今の様に暴力から逃げる為のシェルターなんて無かった。


DV法なんて世の中に存在すらしていない。


(DV法が施行されたのは2001)


暴力をふるう旦那が居ても見て見ぬふり。


あの家はあんな家だからと容認する世の中だった。


そんな世の中でのDVから逃げるには入院しかなかった。


現に父はこの間わたしをこの家に置いて自分だけ帰っていった。


まるで『もう少し辛抱しなさい』と言う様に。。。



わたしは当時の旦那に


『ちょっとまたリストカットしそうだから入院する』


と嘘をついて入院した。



また精神科での入院生活。




この入院中に以前の彼氏(特製ミルクの彼)と外来で会った。


彼は言った。


『あの時何で別れたのか解らない。


幻聴が聞こえて何か別れろって聞こえて。。。』


わたし達は幻聴の声で別れたみたいだった。


でも時すでに遅し。


わたしは結婚していてもう離婚を考えている時期だった。


お互いもう別の人と一緒にいた。


そしてそれが彼と話した最後の時になった。



入院して一ヵ月後くらいの頃彼が自殺で亡くなったと風の便りに聞いた。


聞けば新しい彼女が入水自殺を図り死んだ後、後追い自殺をしたらしい。


また周囲から自殺で人が亡くなった。



そんな入院中、当事の旦那は病院に見舞いに来ていた。


周囲からは


『旦那さん面会に来てくれていいね』


などと言われていたがそんな夫婦の会話はぎこちなく


少しづつ雰囲気的に二人の離婚の話に向かっていた。


『離婚したいんやろ。離婚しよ。』


旦那からの言葉だった。


『もう俺も手とか切られたらいややしそんな奴と一緒に居られんっ。』


わたしの心中はとても複雑だった。



離婚できるのだから願ったり叶ったりだと思う反面


この人には理解してもらえなかったんだという落胆の気持ち。


そして最後の最後まで持ち続けた二人で再出発の望みが消えた悲しさ。


【もし彼に暴力が無かったら優しい旦那だったのか?】


【もし自由になるお金があったら暴力は許せたのか?】


【暴力は振るわずお金を自由にさせてくれる彼が存在できるのか?】


など色々考えてしまった。


でも


【今暴力を振るうというのは先でも子供に振るうかも知れない。】


【自由になるお金があったとしても暴力は許せない。】


【暴力は振るわずお金を自由にさせてくれる彼は世の中に存在出来ない。】


と言う考えに至りわたしは離婚に同意した。



わたしは離婚をする為にとりあえず退院した。


そしてその事を両親に報告した。


両親はしかたがないというか


『娘がワガママ言って申し訳ない』


と謝っていた。


わたしにとっては首をかしげる風景だった。



旦那との話しで退院後一ヶ月は一緒にいた。


『いやな事ばかりではなかったから良い思い出で幕を閉じよう』


という事だった。


最後の一ヶ月は穏やかな日が続いた。


以前の大喧嘩の日が嘘のようだった。


『このまま一緒にいようか』


とお互い言いそうだったが


『離婚すると解っているから今は仲良く出来るのだろう』


という事も頭にあった。



子供もいなかったし財産なんてほぼ無かったから


わたしは当面の生活費として三十万を貰い


協議離婚をして実家に帰った。




実家に戻って数日。


『何であんた旧姓に戻して籍も戻したのよ!?』


と母から文句が出た。



旦那の籍から抜いて実家の籍に戻るのが普通だと思い


戻していた。



でも戻ったらいけなかったらしい。



後日父に聞いたが『税金とかの関係だろ』と言っていた。





実家に戻ったものの居場所は物質的にどうにかあったものの


精神的にはなかった。



じっと家にはいられないので(息が詰まる)バイトを探した。


で、少し足が不自由でも出来るであろうお惣菜売りのバイトを始めた。


デパ地下での仕事で午後三時から夜の八時までの立ち仕事だった。



時間と共に腫れてくる足。。。



お惣菜やお弁当を売ったり詰めたりで時々厨房も手伝ったりの仕事だった。


終わったらクタクタになっていた。


その頃まだ前の旦那と連絡はとっていた。


何故か前の旦那は仕事が早く終わった時などバイトの迎えに来てくれたり


バイトの帰りに話し込んだりと以前より仲が良かった気がする。



その位の距離が良かったのかも知れない。



わたしはバイトがあまりにも忙しく足の調子が気になっていたのと


バイトの子が辞めて行きバイトの休みもないローテーションに苛立ち


そのバイトを辞めた。


そしてまた家に居た。


少しづつバイトの面接は受けていたが


てんかん、心因反応、左足の障害とあり、


自動車の免許がなく立ち仕事が出来ず危険なことも出来ない


となるとその条件にあう仕事が中々なく苛立ちだけが募っていった。


そうなると家にいる時間が長くなり家での出来事に苛立ち、


心因反応がおきやすい状態になっていた。



そんなバイトもしていないある日のことだった。


「ガシャーンッ!!」


金属音が玄関から響き渡った。



この続きはまた後日にでも。



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