今回は この記事  の続きになります。


整形外科を退院し


整形外科の彼と結婚前提のお付き合いをはじめたという所。


それから先というかその頃の話です。



整形外科から退院してまもなくの頃


病院の先生は【症状固定】の話しを持ち出した。


当初からは一年半程度過ぎていてリハビリ治療を行ってきたが


この先良くなる見込みはなく多分このままだろうと言うことを聞いた。



『障害者手帳は多分五級程度くらいかと思いますが申請しますか?』


付いてきていた母は大きく首でうなづいていた。



この頃の母の言葉で忘れられない言葉。


『あんたあの子みたいに足が無くなったとかじゃなくて良かったわね (`∀´) 』


と交通事故で両足を切断した高校生と比べられた。



わたしの内心はこうだった。



【そっちの方がマシだったよ。。。】


何故ならばまだ他人のせいにできるからだった。


わたしの足は寝ていて動かなくなった。


精神科に入院していた中で。。。


わたしが悪いのか病院が悪いのかはたまた誰のせいでもないのか。


原因の追究が出来ないというもどろっこしいストレスがわたしを襲っていた。


だから他人のせいにできる交通事故が羨ましかった。


勿論、両足を失ったのは可愛そうだしそうはなりたくないと思えたが


こころの負担面においては何となくそっちの方が羨ましかった。



わたしは身体障害者手帳の交付を受けた。


五級だった。


坐骨神経座礁による左下肢末梢神経麻痺


この時のわたしにはてんかんの発作は出るシーズンと出ないシーズンがあった。


周期的に発作が出やすい時期とそうでない時期が代わる代わる訪れていた。



片足が不自由になり発作はもっと恐怖になっていた。


痙攣と共に倒れそうになる。


足で全くふんばりが効かないのだ。



発作、リハビリ、心因反応と戦う日々。



正直疲れていきました。



発作 リハビリ 心因反応。 発作 リハビリ 心因反応。


発作 リハビリ 心因反応。 発作 リハビリ 心因反応。



精根尽きるというか安心する暇がないと言うか。。。


もう限界がそこまで来ていました。





こんな日の繰り返しがまた次の引き金を引いたみたいです。


次の引き金を引いた事柄はまた後日。



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