入院して二晩が過ぎた日の朝、足が動かなくなっていた。
しかしその言葉を信じてくれなかったのか
診察もないし検査もない一日が過ぎた。
わたしは動かなくなった事実を受け止めて良いものかどうか
自分で迷っていた気がする。
何も慌てふためかない周囲を見ていたら
『ただ痺れただけで数時間後にはまた動くのかも』
などという変な希望すら持っていた。
動かなくなったという事実を受け止めたくなかったから。。。
が、しかし事態はその夜変わってきた。
足に痛みがはしり出しだんだん腫れてきたのだ。
その時やっと事の重大さと足が動かない現実を
実感したような気がする。
『このまま足が動かなくなったらどうしよう』
と言う不安にもだんだん襲われ始めた。
それにしても何故。。。
入院した当日は確かセレネースアキネトンの注射をして
そして就寝時の投薬にベゲタミンAが追加されていた。
でも興奮のあまり夜は眠らず翌日を過ごし
そしてまた夜が来て流石の二日目の夜には記憶が飛んでいて。。。
わたしは自分の病室に帰り布団に辿り着く前の畳の上、
部屋をあがってすぐの入り口付近の畳に直に寝ていた。
目が覚めた時は布団の上ではなかったし
畳の上に寝ていたから。
で、起きようとしたら足が動かなかった。
入院してから三晩目、
激痛の襲う足を抱えたわたしはベットの部屋に移され
入り口には『面会謝絶』の札がかけられていた。
足は動かすと激痛がはしり触ると痛いくらいになり
もう寝返りひとつうつのが死に物狂いになっていた。
激痛の中夜は過ぎた。
酷い汗と熱。飲み物を飲もうにも嚥下困難な状態で
なかなか飲めなかった。
意識は朦朧。
そして名前を呼ばれても応答しない程の昏睡状態に。
そんな中看護士はわたしにオムツをしていった。
意識の遠い中で看護士が汗を拭いてくれていた事と
オムツをしていったのをかすかながら覚えている。
三晩が明け四日目。
やっと担当医が動き出した。
レントゲンの撮影をして担当医の診察があった。
で、とりあえず追加されていたベゲタミンAの中止と
点滴の支持がだされたみたいだった。
が、点滴をしても足の腫れは良くならずまだまだ腫れていく一方。
痛みがまだ増していく。。。
動かなくなってから六日目。
やっと整形外科の受診を受けるように指示が出た。
整形外科を受診した所
「脊髄に異常があるかもしれないので大きな病院で精査を」
と言う結果だった。
その結果が出てからわたしの足が動かなくなったことは
両親に伝えられたらしい。
整形外科を受診したその日両親が来て救急車にて転院する運びとなった。
後日わかった事だが実は両親はわたしの足が動かなくなった翌日に
病院に電話をしていた。
「家に沢山クスリが溜め込んであるのですが。。。」
と。
しかし病院側はそれだけを聞き両親には何も話していなかったらしい。
溜め込んであったクスリはハルシオン、アモバン、ロヒプノール、
レキソタンとかかわいいクスリばかりだった。
まあそんなこんなで精神科から総合病院の整形外科に転院した。
総合病院の整形外科での話はまた次回にします。
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