入院した当初わたしは精神科では最年少だった。



若かったからと言えばそれまでだが



今からおよそ20年前の精神科とは今の精神科と違っていた。




今は精神科もメンタルヘルスも患者層は低年齢化しているが



当時は中高年の人が多く若い人などほとんど居なかった。





鍵のかかった病棟。鉄格子のついた窓。ライターは持ってはいけず



刃物も薬も禁止。



入院の説明の時わざわざアルコールはいけませんとは言われなかったが



そこは前回のことで流石のわたしも学習していた。




入院をしてまず煙草を一服。




新顔のわたしに患者さん達は色々な態度をとっていた。




「たばこ一本チョーダイ!!」



「ねえねえお菓子持ってる?」



「ジュースおごってw」






とにかくうるさい。。。






わたしはこの先じうなることかと少々思い悩みながら



かれ等を無視して一人たばこを吸っていた。



でもうるさい奴はうるさくて最後には無視をするのも困難な状況に。



わたしも環境が変わってイライラしているので



その時はひとの事まで気が周らない状況だった。





一週間くらい病棟内で過ごすと



一日に数時間は外の空気を吸えるようになった。





精神科の病棟には閉鎖病棟と開放病棟に別れていた。



閉鎖病棟ではそれぞれマークが付けられ



ある程度の患者さんは一日に数時間、院外へも散歩に出られた。



看護士さん付き添いでとか色々マークはあったが



わたしは一週間もすると院外にも出られるマークをもらっていた。




ここまで来ると家よりすごしやすくなっていた。



時に外でアルコールを飲み病棟に戻ったりしていた時もあったが


うまく誤魔化していた。


飲むのはフィズで匂いはジュースのように。


飲んだ後は煙草とガムで匂いは消して、


病棟に帰ったら少し頭の痛いフリをして布団にもぐって


夕飯まで凌いだりしていた。





三食昼寝つき。親はいないし発作はその頃昼間はなく比較的少なかった。





一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎ、三ヶ月が過ぎ、半年が過ぎ



そして院内で誕生日を迎えクリスマスを迎えそして正月も迎えた。




週末に父が面会に来て時々ドライブに行ったが



母が来た記憶はあまりない。




そんな母がいきなり来た時がある。


開口一番「黒い服を着なさい」と一言。


そして付け加えるように




「今日はおじいちゃんのお葬式だから。」


と言った。



わたしは詳しくを聞かないまま入院して以来初の外泊の用意をした。



外泊は少しうれしいような気もしたがお葬式だ。




素直に喜べない。




靴屋で黒い靴を買い自宅で喪服に着替え葬儀場へ。




親戚のひとがもうすでに集まっていた。




わたしが入院していることってどこまでのひとが知っているんだろう。




そんな事を考えている間に葬儀は終わり火葬場へ行く時には



雪がちらついていた。





葬儀も無事終わり自宅に帰ったがわたしは自室では過ごさなかった。



おじいちゃんが急に亡くなり



おばあちゃんが夜眠れなくなってしまっていたのだ。



わたしはおばあちゃんのベットの横のソファーで寝た。



外泊している一週間のあいだずっと。



そして病院に帰るころ父に言った。



「病院では眠れない人に入眠剤を渡すよ...」



父はその後おばあちゃんを内科に連れて行って



《ハルシオン》を処方してもらったと言っていた。




こうしてわたしのおよそ10ヶ月ぶりの外泊は終わり



また病院へと戻っていった。





そしておよそ一年が経つころいったん退院の話がでてきて



退院が決定した。






季節はもう春。



桜の花が新しい春を祝い終わり新緑の季節が目の前だった。










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