母危篤。介護の終焉。 | ツバミナの日常茶と飯な事

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(注:中高年のでっかい独り言だと思って、さらっと聞き流して下さい)

 

前回の更新から私生活が大荒れに荒れました。

 

「かーちゃん危篤」

 

昨年、特養から真夜中に救急搬送されてから3ヶ月。

大学病院から治療向け病院に移転されて3ヶ月。

母の体は多臓器不全になっていたことがわかり、

 

「お迎えの準備」を考えなければならないことを主治医から告げられました。

 

医師から勧められていた胃ろうは、結局延命治療にしかならず。

(結局なんのための胃ろう手術だったのだろう……)と、頭抱えました。

胃ろうを嫌っていた母の反抗が死を速めるきっかけとなってしまったのか、とか。

この数日、自分は思い詰めてました。

でも、母との意思の疎通が出来なくなった今。

「ここまでして生きかされるのも、頑固で自我が強いかーちゃんらしくねぇ」

と割り切った考えに切り替えて、着々と準備を進めております。

 

親族は高齢だったり疎遠だったり、そんな訳で格式ばった葬儀はしないです。

母の要望通り「焼いて墓に入れればいい」ってことになりそうです。

コロナで会えなかった母の友達は呼ばなければ。

 

介護とは、終焉までが介護……って、初任者研修でも習ってたわ。

 

 

教訓:親が元気なうちに葬儀の話はしとけ

 

不謹慎だが、親の遺体を遺棄する中高年の気持ちもなんとなく察してしまった。

生きても死んでも金かかるんだから、葬儀屋のサイトを眺めて(そらぁ……)ってなった。

人として、道徳として間違ってるのはわかってるけども、ね。

お金大事。働いて稼ぐって大事。

 

 

 

さて。

全て終わったら、次は自分の終活を考えるべか。