こんばんわ
ご近所のおっちゃんから
サツマイモの苗を5種類いただいてしばし畑にたたずむ
今年は植えるの止めとこうと思っていたのに、
(掘るのがしんどい)
30本以上植えました
昨日の雨で土がやわやわになってて植えやすかったけど・・・。
秋になってフライパンは振るけど、
クワは振らんあの人手伝ってくれるかしら
のつづきです。
判断
判断とは「分けること」
人間は「判断する関数」である。
式に表わすと・・・、
判断=価値基準×入力情報
「判断」とは「分けること」であり、
「わかる」とは「分けられること」である。
何かを判断するとき、頭の中では「タグづけ」がされている。
リンゴという情報が入ってきたら、
「品種:ふじ」「色:赤」「味:甘い」「評価:おいしいから好き」
など、さまざまなタグがつけられる。
それが済んだら記憶の棚にしまわれて、
誰かに「好きな食べ物は?」と聞かれたら、
「好き」のタグがついているものを脳内検索して、
検索結果の一つとして「リンゴ」が出力されるのだ。
「わかりにくい」というときは、
「分けられない(解釈不能でタグがつけられない)」、
「分け間違いやすい(発信者の意図と違うタグをつけてしまう)」ということが
起こっている。
相手にわかってもらうには、
相手のタグづけ基準(価値基準)を知ることが肝要だ。
また、「判断が間違っていた」ということもある。
「判断」をするプロセスでは、
入力情報を価値基準によって処理(計算)する。
よい判断をするには、よい価値基準を持つことが重要なのだ。
よい「価値基準」を持つには
「よい価値基準」とは何だろうか。
ふつうの状態を「1.0」と表現すると、
ちょっとご機嫌(ポジティブ)な状態が「1.1」、
ちょっと不機嫌(ネガティブ)な状態が「0.9」になる。
「1.1」の人と「0.9」の人がいっしょにプレーすると、
1.1×0.9=0.99で「1.0」以下になる。
つまり、「ネガティブでいないようにすること」葉とても大事なことなのだ。
とはいえ、誰でも凹むときはあり、
いつでも「1.1」でいられるわけではない。
必要なのは「0.9になったとき、すぐに修正できるスキルがあること」、
いわゆる「レジリエンス(修正力)」である。
また、文句を言いたくなるような状況で、
イライラをぶつけて相手を「0.9」にするか、
感情をコントロールして「1.1」にするかは自分で決められる。
アシトはフォワードからディフェンダーへの転向を告げられ、
失意のどん底に落ちた。
だが考え直し天敵とも言えるデイフェンダーの阿久津に
「教えてください」と頭を下げる選択をした。
「プロになって親孝行をする」という目的のために、
自身の成長につながる「1.1の価値基準」で判断を下したのだ。
どちらの価値基準を選ぶかは「常に自分で決められる」のである。
選択基準を言語化する
いくつかの選択肢から決めるとき、
自分がなぜそれを選択したかを言語化できるときと、
そうでないときがある。
言語化できているときは、
ほかの選択肢と比べて「こうすればうまくいくのではないか」
と仮説(問い)を立て、
それを基準にして選択している。
つまり、選択基準を言語化したものが「仮説」なのである。
著者はよく、モヤモヤしている人から
「次のステージに行くためには何をしたらいいですか?」
という質問を受けるが、
「そもそも問が間違っている」という。
「うまくいく人」の問いは、
「今のステージをやり切るには何をしたらいいか・」である。
彼らは目の前の仕事がもっとうまくいくように没頭し、
やり切ったら自然と次のステージに誘われていく。
「0.9な問い」も「1.1の問い」にアップデートできれば、
価値基準もアップデートされ、選択肢も増えていくだろう。
実行
「仮説→試行→検証→規範化」を高速回転させる
サッカーでも仕事でも、できるようになるには
テクニックが必要だ。
ただ、単に数をこなすだけではテクニックの習得は難しい。
大事なのは「仮説→試行→検証→規範化」を高速回転させることである。
「こうすればよくなるのでは?」と仮説を立てて試しにやってみると、
気づきが生まれる。
その気づきから得られた学び(実証された仮説)をもとに
自分の価値基準をアップデートすると、
仮説は「仮」ではなくなり、自分ルールとして規範化される。
仮説を持つと気づきが生まれやすくなる。
それは、理想と現実のギャップが明確になり、
課題が見えるようになるからである。
学びの取れ高を決める「ふりかえり」
「仮説→試行→検証→規範化」における「検証」とは、
「ふりかえり」とも言い換えられる。
ふりかえりとは、やったことを言語化する作業である。
『アオアシ』において、「言語化の重要性」は
大きなテーマの一つだ。
言語化には「頭の整理ができる」
「無意識の行動が意識化できる」
「他人に伝達できるようになる」
という3つの効能がある。
アシトはチームメイトの富樫に
「何を見てプレーをしているのか、説明してくれ」
と教えを乞われ、説明するシーンがある。
このときアシトは「選手自身も言いながら整理できて、勉強になってるんや」
と言語化の効能に気づく。
アシトは富樫と「ふりかえり」をすることで、
3つの効能を手に入れる。
もしこの作業をしていなければ、ただプレーをしただけで、
気づきの少ないまま次へ行っているだろう。
気づきの取れ高は、「ふりかえり」によって決まるのである。
著者はとにかく6巻まで読んでみて、
とおっしゃっているので読んでみようかな・・・。
「判断」とは「分けること」であり、
「わかる」とは「分けられること」である。
では、また明日^^