きみのお金は誰のため➁ | ふーちゃんのブログ

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私のブログは、離れて暮らす子どもたちと孫たちに向けて書いています。

こんばんわひらめき
 
 
 
 
展覧会の絵を仕上げるのにエンジンがかかってきました。
楽先生の目指すところはAIが書けない絵。
額ごとアートなのでトンカントンカンやろうと、
夫とホームセンターで木材など仕入れようと出かけたものの、
百均でいいものを見つけてしまいましたてへぺろ
 
 
 
 
 

 
 
 
 

 

のつづきです。

 

 

 

 

お金が解決してくれる問題はない

ベル100万円とドーナツの話

2つ目の謎は「お金が解決してくれる問題はない」という話。

これを七海は「お金だけでは解決できない問題がある」

と解釈した。

しかし、ボスの意図はそうではなかった。

どんな問題もお金では解決できないというのだ。

 

 

 

優斗はトンカツ屋に来た客のことを思い出す。

客の中には偉そうにする人もいる。

母親はお客さんは神様だからと言うが、

ご飯を作ってあげているのは両親なのに、

お金を払うだけでえらそうにするのは意味不明だと思っていた。

その話をしていると、

自然と自分たち兄弟が学校や塾に行けるのは

両親のおかげだという感謝の言葉も出てきた。

 

 

ボスはそれに対して、

「勉強できるのは両親のおかげ」と考えるのは、

「お金が解決してくれる」と考えている点では

えらそうな客と同じだと指摘する。

気分を害する優斗に、

ボスは1つのドーナツと100万円の札束を優斗に見せて問う。

問題を解決できるのはどちらか、と。

 

 

100万円だと思わず優斗は即答したが、

ボスがニヤッと笑ったのを見て考えを改めた。

たとえば、軟禁状態で空腹になったら、

100万円は何の意味もないが、ドーナツは空腹を満たせる。

誰もいない無人島にお金を持って行っても使うことはできない。

お金で問題を解決できるのは、

そのお金が使えるときだけではないか。

 

 

 

 

ベル「助けて」をかなえてくれるお金

お金を使うとき、お金を受け取ってくれる人がいる。

つまり働いてくれている人がいるから問題が解決するのである。

お金の向こう側にはたくさんの人がいる。

 

 

ドーナツ屋でお金を払ってドーナツがもらえるのは、

ドーナツを作っている人がいるからだ。

ドーナツ屋はドーナツを作るために小麦粉を買い、

小麦粉を作る人は小麦を農家から買っている。

オーブン、小麦を運ぶトラック、

ドーナツには他にもいろんな人が関わっている。

しかし、どこまでいってもお金が原料になったり、

お金自体が問題を解決したりすることはない。

払われたお金は必ず誰かが受け取っているのだ。

 

 

ドーナツ屋はドーナツを作れても小麦粉は作れない。

つまりお金を払うということは、

自分で解決できない問題を他人にパスしているのである。

 

 

お金を払った先には必ず誰かの仕事がある。

お金に意味があるのは、

働いてくれる人の中から選べるときだけだ。

しかし、多くの人はお金を払うことで問題を解決した気になってしまう。

だから、客はえらそうにするし、

勉強ができるのはお金を払う両親のおかげと考えるのだ。

 

 

 

 
ベルお金が意味を失うとき
たとえば、100人が暮している国があるとする。
みんな朝晩パンを2個食べている。
しかしあるときパンの価格が高騰し、国民が不満を訴えた。
値上がりのせいでパンが1個しか買えない。
なんとかしてくれ。
そこで、政府は金を印刷して配った。
しかし問題は解決しない。
なぜだろうか。
 
 
この問題を解決するには、
パンの値段が上がった理由に着目しなければならない。
国民全員の買えるパンの数が減ったということは、
パンの生産量そのものが何らかの理由で減ったと考えられる。
 
 
災害で工場が故障していたのだとしたら、
いくらお金を配っても問題は解決しない。
それどころか、
増えたお金のせいでパンの価格ばかりが上がっていく。
 
 
 
使えないお金は紙切れにすぎない。
もっとお金を配れとデモ行進をするか、
パン工場を修理するか、
どちらが正しいのかは明白だろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
みんなでお金を貯めても意味がない
ベル1億2000万人参加のイス取りゲーム
最後に残された謎は「みんなでお金を貯めても意味がない」だった。
母親がお金の勉強を始めたのを見ていた優斗は、
ボスに何気なく尋ねた。
 
 
「簡単にお金を増やす方法ってないんですかね?」
 
 
 
ボスは言う。
お金自体は増えないから、
みんなで奪い合いをすることになる。
そしてこうも言った。
みんなでお金を貯めても意味がない。
全員で沈んでいくだけだ、と。
 
 
パンの生産力が減っているのにお金を配っても
パンは食べられない。
年金問題でも似たようなことが起きている。
足りないのはお金ではなく、生産力だ。
そこでは1つのパンを老人と若者で奪い合っているようなものだ。
老人への仕送りが多ければ若者はパンを買えないし、
その逆であれば老人がパンを買うことができない。
 
 
多くの人は老人がお金をためておくべきだと考える。
しかし、結局のところ「パンの生産」がなければ
問題の解決にはならない。
個人の視点から見れば貯金は有効に思えるかもしれないが、
視野を広げると全員で貯金しても意味がないのである。
 
 
まるでイス取りゲームをしているようだと優斗は言った。
少子化によって働く人の割合が減るということは、
イスが減っていくようなものだとボスも同意する。
 
 
働く人が少なくなれば、
すべての分野に十分な労働力がいきわたらなくなる。
生産が足りなくなれば、それを得られる人も少なくなる。
しかし、1億2000万人も人口がいると、
イスの数が減っていることにも、
誰かをはじき出していることにも気づかずに、
お金を貯めさえすれば」いいと勘違いしてしまう。
 
 
 
こうした「イス取りゲーム」の存在は、
年金や社会保障の専門家には指摘されている話だが、
問題そのものはなかなか一般に認知されない。
お金は本質的には無力だ。
そのことに気づかなければ、
お金を集めることばかりに夢中になってしまう。
 
 
 
 
ベルお金でイス取りゲームはなくならない
私たちは少子化で働く人が少なくなる未来を全員で共有している。
この場合、1人ひとりがお金を増やしても
資源の奪い合いにしかならないのだ。
だから少ない人数で効率よく仕事を回せるようにしたり、
子どもを育てやすい社会を目指したりする必要がある。
 
 
ボスはお金を増やすことを否定しない。
けれども、それだけ考えてもダメだと2人に言い聞かせる。
お金は無力だということが理解できてはじめて、
未来の話をすることができるようになる。
そしてボスは2人に未来を共有することの意味を語り始める。