おとなの思考(学校では教えない逆転の発想法) | ふーちゃんのブログ

ふーちゃんのブログ

ご訪問ありがとうございます。
私のブログは、離れて暮らす子どもたちと孫たちに向けて書いています。

こんばんわひらめき

 

 

 

 

雪になるかとドキドキしましたが、

晴れたり雨が降ってみたり、あられやヒョウが降ってみたりと

ワクワクなお天気でございました。

 

昨夜突然に県外からの夜のご予約が入りまして、

シェフは急遽、山登り訓練を買い出しに変えました。

「食べたら即帰ります」って2時間近くかかる土地からですが。

お声の感じがわたしたちよりは絶対ご年配だと思われます。

さてどんなご家族なのでしょう…わくわくおねがい笑い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベストセラー『思考の整理学』の著者である外山滋比古さんが、

40年前に書いた内容をベースとして書かれた1冊。

「知識は多ければ多いほどよい」といった、

多くの人たちが考えずに肯定してきた常識を、

くるりくるりと反転していく。

 

年齢を重ねて体は自然と成熟していく。

頭の方はどうだろう・・・。

 

 

 

外山滋比古著ー2023年6月発行ー。

 

 

 

 

すてる技術

ベル脱・知的メタボ

人間の欲深さは大切な本能的能力だが、

食べものが豊かになり、過食になった。

満腹になるまで食べるのが望ましいことだと思いながら育つと、

食事制限にはたいへんな努力を要する。

 

 

知識も同様だ。

勉強は知識をふやすことであり、知識は多いほどよい。

みんなそう思っている。

学校に通うあいだとにかく知識欲のまま過ごして知識過多になり、

いつしか「知的メタボリック症候群」になる。

 

 

知的メタボになると知識が頭のはたらきを妨げ、

自分で考える力を失わせてしまう。

知的メタボは通常のダイエットと違って、

減量、つまり知識を少なくすることが難しい。

 

 

だから思い切って、すてる。

忘れようと思って忘れるのは難しいが、

眠っている間であれば多くのことを忘れられる。

運動をして汗を流すのも有効だ。

散歩は頭の掃除をしてくれる。

だからかつての哲学者たちは散歩をしたのだろう。

 

 

過剰な部分はすてて、

発明、発見をすることで、人間は進化する。

 

 

 

 

ベル悪が善に転じる

小さいときから、たえず病気をして親に心配をかけた人がいた。

何度も喘息で死ぬほどの苦しさを味わうも、

何十年もかけて発作をおこさなくなった。

気がつくと90歳を越えていた。

 

 

本人は「病気のあとには、前より一層元気になるものだ」と言う。

人間には回復力がある。

病気で80あった体力が40に減る。

回復力はそれをときには90まで改善する。

「回復力を上手に利用すれば、体はつよくなることも可能」だそうだ。

 

 

 

リンゴは傷があるもののほうが甘い。

きれいなリンゴがしない努力をした結果、普通以上のうま味が出る。

回復力は、「生きるものが共通してもつ自然力」なのだろう。

 

 

病気や失敗、不幸、災難はプラスにはたらくものだ。

悪いことを越えようと夢中になると人間力が発揮される。

戦国時代の武将・山中鹿之助は、

自分がめぐまれた環境にある危険を察知し

「われに七難八苦を与え給え」と祈願したらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

考えることと雑学

ベルまねるだけでなく「考える」

雑誌などの座談会企画はもともと

『文藝春秋』で菊池寛が始めたことであり、

それを日本だけでなく世界中がまねした。

 

 

学校が教える知識は、学校以外の場所からの借りものだ。

「学ぶ」ことはそもそも「まねる」ことである。

それを永く続けると、

「知識というものがほかの人たちの作ったものであることを忘れる」。

 

 

自分の生活の中から新しいものを引き出すことが「考える」ことであり、

「知的」さだ。

知識は、それを活かす知力がなければ意味がない。

ぼんやりではなく、考えながら生きる人間によって社会は変化していく。

 

 

「知るより、考える」、

これが「おとなの思考の基本」だ。

 

 

 

 

ベル雑学が大事である理由

自然科学は対象を分析・細分化して、

よけいなことを一切排除し、純粋真理を追究する。

専門家の多くは雑学的興味を除外した「極小の真理」を目指す。

 

 

 

人文系の学問もその方法論をマネしようとしたが、

それは「思考の未熟」である。

ことばは物質と違ってきわめて複雑、雑然としており、

そこに生活的で雑種な真理がある。

 

 

純粋真理を追究する分析に対し、

雑種・新種を生み出すための「統合の原理」がなくてはならない。

しかし、

専門の壁を取り去った雑学的研究を進める場が育っていない。

ダーウィンの祖父エラズマス・ダーウィンを中心とした18世紀イギリスの

ルーナー(月光)・ソサイエティでは、

専門が異なる10名足らずのメンバーが満月の夜に集まって談論し、

「産業政策をすすめる発見、発明がいくつもあらわれた」という。

 

 

違った専門の人たちによる親し気な対話は、

雑学的真理の発見へとつながっている。

雑学談話会によって、新しいことを考える力がつけられるのだ。

 

 

 

 

ベル心の薬になる「ことば」

日本人はもともとことばに敏感だったが、

教育の普及と進学率向上の効果でことばへの関心がさらに高まり、

ことばによる争いも増えているようだ。

 

 

学校教育は実物を脇においてことばでの説明を理解させる。

その結果、ことばの外見が立派であれば、

そこに実質を求めない人も増えている。

ことばは人を傷つけ、

当分立ち上がれないほどの打撃を与えることもできる。

ある人間をダメにするには

「あなたはダメになる」とくり返すだけでいい。

 

 

 

生きがいと幸福を生むためには、心の薬がなくてはいけない。

心の薬とは、「人からほめてもらうこと」だ。

人をほめることがいまいちばん欠けている。

「ヤッテミセテ」から始まる山本五十六の有名なことばにも、

「ホメテヤラネバヒトハウゴカジ」とある。

ほめことばのキャッチボールによって、いつしかお互いを好きになるものだ。

 

 

 

つづく・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「知るより考える」ことがおとなの思考の基本ですと。

「ホメテヤラネバヒトハウゴカジ」(ほめてやらねば人は動かじ)、

心に留めて忘れないようにしたいことばです。

 

 

 

では、また明日^^

 

 

 

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 小さな幸せのある暮らしへ
にほんブログ村