ぷしゅ よなよなエールがお世話になります | ふーちゃんのブログ

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私のブログは、離れて暮らす子どもたちと孫たちに向けて書いています。

こんばんわ新月
 
 
 
 
大雨が通り過ぎた本日、久しぶりにお日さまを浴びました。
浴びながら草抜きをしたらグターッとなりました。
湿度高過ぎアセアセ
この時期、シソジュース作りに命をかけて専念しているわたくし、
毎年お店でも飲んでいただこうと普通のネーミングじゃなくて人目を引くのを考えていたところ、
出会った本。
 
 
 
みなさんは「よなよなエール」というビールを飲んだことありますか?
わたしはビールは飲まないからスーパーにどんなビールが置いてあるのかも
メジャーなもの以外知りませんでした。
日本で一般的に飲まれているラガービールと違い、
常温より少し冷たい程度に冷やすことで、
フルーティーな香りが楽しめる「エールビール」の代表的ブランドのひとつだそうです。
楽天市場では9年連続「ショップ・オブ・ジ・イヤー」を獲得するという快挙も。
 
 
 
井手直行著『ぷしゅ よなよなエールがお世話になります』ー2016年4月発行ーから。
 
 
 
 
「よなよなエール」との出会い
職を転々としてきた著者がヤッホーブルーイングに入社したのは、
当時の社長を務めていた星野桂路さんに出会ったのがきっかけだった。
星野社長の「日本にもアメリカにあるような個性あふれるビールを紹介したい」
という言葉を聞き、実際の醸造所を見たとき直感的に「ここだ」と悟ったという。
 
 
星野社長はクラフトビールを造るにあたり、
外国からブルワー(醸造責任者)を招くのではなく、
日本人のブルワーを育てていこうというこだわりを持っていた。
そのため、醸造スタッフにアメリカ留学の資金と時間を与え、
発酵に関してだけでなく、麦芽やホップの種類、ビールの歴史についても学ばせた。
 
 
そんなスタッフが造ったビールに、著者は激しく魅了された。
特に気に入ったのは香りである。
 
 
「よなよなエール」を造るにあたっては、
ビールの品質以外の部分にも様々な工夫がなされた。
ネーミングについても、もともとはNO.1になりたいという思いから、
「エールナンバーワン」という名前がつけられていたが、
それではありがちすぎて何も心に残らないという判断から、
何十回の会議の果てに、「よなよなエール」。
 
 
味わいある個性豊かなエールビールを、「夜な夜な」飲んでもらうことを夢見て。
缶のデザインについても、当時はタブーとされていた黒を積極的に用いて、
それまでの慣例を打ち崩した。
 
 
ネーミング、味、デザインすべてにおいて、常識の逆をいった「よなよなエール」は、
順調すぎるほどの滑り出しを見せた。
 
しかしその行き先は、もともと目指したゴールとはかけ離れていった。
著者たちの使命は町おこしではなく、
アメリカのように個性的でおいしいクラフトビールを広めていくこと。
だから観光需要の開拓よりも、リピーターの獲得を主眼に戦略を立てていたのだが、
うまく固定客をつかむことができなかった。
 
結局、「よなよなエール」も地ビールの中に回収されてしまい、
ブームが去った2000年頃になると、まったく売れなくなっていた。
 
ビールは法律上、飲んでしまうと酒税を支払わなくてはならない。
しかし廃棄すれば、支払った酒税は戻ってくる。
著者たちに残された選択肢は、泣く泣くすべてを廃棄することだけだった。
近所から高校生や主婦を雇い、1本1本、ビールを排水口に流していった。
誰もしゃべらず、笑わないなかで、淡々と作業が続けられた。
 
 
行き着く先は、グラスではなく排水口・・・。
それでも著者はこのときこの悲惨な状況を、心のどこかで「他人事」として見ていた。
 
 
 
業績不振に陥ると、会社の雰囲気も徐々に悪くなっていく。
業績悪化の犯人探しが始まり、社内のいたるところから陰口が聞こえた。
もともと社長はフラットな性格だったが、もはやそこにはなかった。
全員が無表情で、なるべく人と話さず、言われたことだけをやり、
終ったら帰るだけの会社になっていた。
 
 
この状況に耐えられなくなった著者は、
当時社長を務めていた星野さんに直談判をした。
 
 
 
「ねぇ、社長。こんなに、うまくいかなくて、将来が見えず、みんな辞めていく職場って、
なかなかないですよ。
僕はもう、この事業はダメだと思っています。
売上げもガタガタと減っていくし、誰も、このビールが将来売れるとは思っていません」。
 
 
だが星野さんからの返答はこうだった。
 
 
「でもさ、本当に全部やり尽くしたのかな?」
「とことんやろうよ。とことんやってそれでもダメだったら、そのときは会社をたたもう」。
 
 
星野さんのその言葉を聞いた著者は、
これまで自分の覚悟が足りていなかったことを痛感。
心のどこかで逃げ道を用意していたから、
何をやっても他人事のように感じていたのかもしれないと思った。
 
 
さらに、絶望的に見える状況でも、まだ何か手を打てるという社長の発想にも衝撃を受けた。
生まれて始めて人生をかけて、何かに取り組んでみようと決意した。
 
 
 
どん底から大成功へ
転機が訪れたのは2004年の夏前のこと。
少ない人数でなんとかやりくりしていたため、
事務所には書類や手紙がたまりにたまっていた。
棚の奥からある手紙を発見した。
それは「いっしょにインターネットで世界を目指しましょう」という、
「よなよなエール」の通販サイトが楽天市場に出店したときに、
三木谷社長本人が手書きで書いてくれた手紙だった。
 
それまで楽天に出店していたものの開店休業状態だった。
当時は、地ビールブームで、何もしなくても商品が売れていた時代。
だからほとんどの社員は、楽天に店を出していたことも忘れてしまっていた。
まだネット通販の重要度が世間的に認知されていなかったという事情もあった。
 
 
幸運だったのは、楽天が「よなよなエール」を高く評価していたことだろう。
当時、ネット通販で売れていたのは強い個性ある製品であり、
よなよなエールはその資格を充分に満たすと考えられていた。
そのことを知った著者は、意気込んで最初のメルマガを書き上げた。
すると、すぐに大きな反響を巻き起こした。
 
 
最初に著者が大々的に取り上げたのは、当時「英国古酒」という名前で売っていたビール。
現在、「ハレの日仙人」という名前に変わったこのブランドは、
タンクで2年ほど長期熟成されており、
熟成されたブランデーのような複雑な香りがするもの。
手間も時間もかかることから、750mlで3000円という値段に設定されており、
小売り店ではまったく売れない代物だった。
1日当たり、ビン詰めは100本程度が限界であることから、
1日100本だけの期間限定商品として販売することに決めた。
 
 
 
そして何気なくボタンを押してみた。
 
 
その数時間後、パソコンをチェックしたところ信じられない光景が広がっていた。
おそろしいほどの数の注文がきていたのだ。
あわてて製造の担当者に電話をかけ、ビン詰を急ぐようにお願いしたものの、
人気は留まるところを知らず、けっきょく「英国古酒」は数日で売り切れてしまった。
 
 
 
ネット販売という手法に手ごたえを感じた著者は、
その後もさまざまな取り組みを行った。
そのとき心がけたのは、
ひたすら自分たちの可能性を信じて疑わず、とことん自分の頭で考えてやること。
自分でやらなければ反響はわからない。
スキルが無くても、やりながら身につけていくという心持で
次々といろんな角度からチャレンジしていった。
 
 
反響が大きいのは、ビールのうんちくや、
自分たちの醸造設備についてのものだということがわかってきた。
 
逆に反応が薄かったのは、
「ポイント2倍キャンペーン実施中」
「秋は『よなよなエール』と旬のお野菜で!」といった内容だった。
また、身近なところで起きている小ネタを書いたり、
冗談を散りばめたテイストにしたりしたところ、いい反応が得られた。
 
 
 
このことから得た教訓は・・・、
 
 
・人というのは、自分の興味がある情報にしか心を開かない。
だからこそ、まじめなことをやるより、おもしろいことをやって、
まずは「コイツらおもしろい」と感じてもらう必要があること。
 
・逆に、一度興味さえ持ってもらえば、営業に行かなくても人はモノを買ってくれる。
 
 
そう確信した著者は、その後も「自分が書きたいこと」「自分しか書けないこと」
を書くように努めた。
 
とはいえ、自分が「おもしろい!」と思うことをやろうとしていると、
批判をもらうこともある。
「調子に乗るな!」「もうメルマガ絶対に送ってくるな!」とお叱りを受けることもあった。
 
 
そんなとき、著者は批判的な読者全員に納得してもらうまで、
メールで返答するようにしている。
たとえば、文のタッチが気に入らないという読者がいたら、
まじめなメルマガではまったく反応がなく、ビールもうれなかったことを打ち明け、
こちらの事情も分かって欲しいと伝えた。
 
 
すると、「おまえも大変だな」 「わかった、誤解していたぞ、応援する」
といった好意的な返事をもらうことができた。
 
 
会社の売り上げが飛躍的によくなったのも、
このような一つひとつのやり取りに対し、誠実に向き合ったからである。
こうした体験を重ねることで、
「よなよなエール愛の伝道師」としての著者のバックボーンが形成されていったのだ。
 
 
 
 
 

 

 

 

 

という「よなよなエール」ビールさんのネーミングを参考につけたのが、

「日本で一番美作で一番おいしい愛の伝道師がつくるシソジュース」ラブラブ

原液で作るシャーベットもおいしいですよ。

 

今日のカフェディパッセロにお越しいただいた女子たちにも、

シェフとふたりで散々講釈をのたまわせていただきました。

 

 

 

 

 

では、また明日^^

 

 

 

 

 

 

アップ

コロナ禍で悩んでおられる経営者には、

この本はぜひ読んでいただきたいなと思うのでした。

迷ったり失敗したりして生きている等身大の人間ということが伝わってくる、

ビジネス書としてもひとつの物語としても読める励まされる1冊です。