お題炬 燵です


三陸鉄道炬燵列車です

炬燵にミカンのこたつ猫です

この写真や動画をみて作品お考え
下さい
ジャンル問いませんので
(俳句、短歌、ポエム、手紙、
エッセイ短編小説など)
ジャンルをお書きいただき
コメントにて作品をお願いします
との事でした

では作品発表です

(俳句)

・復興や 炬燵列車は 三陸へ
最初の動画を見たまんま、素直に詠みました♪

・猫丸む 家族の団らん 炬燵かな
こちらも、2枚目の写真の炬燵猫🐈で、一句!

・冬の富士 雪見障子の 風景画
雪国名物の雪見障子、富士山が垣間見えたら、美しいだろうなと想像しました。

作やっくんさん

(俳句)

猫も子どもらも潜りて好き炬燵

作fasutonneさん

(川柳)

子規さんの「朝霜に青き物なき小庭哉」をお借りして
朝寒に出る者もなき炬燵かな

作タケノバンブーさん

(短歌)

人は時に自分が嫌いになることがあるのだろうか 炬燵が温い

作空さん


(俳句)

炬燵入り
背中寒しと
独り言

やはり置け
炬燵の上の
蜜柑かな

熱いと言ふ
炬燵の中で
アイス食う

布団とり
夏もテーブル
炬燵かな

足も触れ
離れぬ若き
炬燵仲

(短歌)

足触れて
恥ずかし頃は
遠き日の
知るや青春
今は寝炬燵

布団はぎ
炭団汲める
母の背の
猫より丸し
綿入衣

煉炭と
炬燵と布団
更に薪
届けてやりたや
ウクライナまで 

4畳半
蹴飛ばす足は
今はなく
ただ独り身の
寒さそこはか

お炬燵と
生まれ芳しい
その妻に
届けてやりたや
石の下まで

(川柳)

この匂い
猫も這い出る
炬燵の屁

今日は赤
炬燵に潜りて
君の下着

風呂知らず
万年炬燵
無精者

うたた寝の
火事の夢みる
炬燵火か

炬燵出ぬ
我が顔妻は
踏みつける


作迷いネコさん

(川柳)

ふと気付く 炬燵で寝落ち 時間飛び

作タイドさん

【俳句】

堀り炬燵
一家団欒
窓 結露

作♪ショコラ♪さん


(俳句)

炬燵だし 転寝の夢 ながくなり

気が付けば おやつの並ぶ 炬燵かな

宅配の チャイム3回 炬燵でる

作ageの日記さん

「俳句」

寒いねと
ホームコタツに
足 伸ばし

作藤ヶ谷智栄美さん


『俳句』の部

炬燵掛け好きも嫌いももう何年
 (今年こそ買い替えしましようか)

正月は紅白おせち炬燵酒
 (私はワインなんですが・・)

作勿忘草さん

(俳句)

炬燵ネコ
横目で見つつ
牛舎へと

炬燵から
でたくないよと
ネコが言う

作nyagoさん


(短歌)

「炬燵」 五首

押入れの窮屈さからわが炬燵
 解かれて部屋の真ん中に座し

うたた寝に炬燵布団が動き出し
 やがて隣でネコ欠伸する

見まわせば炬燵ひとつに酒池肉林
 猫の添い寝に旨し酒あり

黄昏に炬燵で暖とる古き宿
 宿の女将のまたモガなこと

ふたりしてひとつ炬燵で向かい合う
 あゝ頬までも赤々と萌ゆ

作野乃みちをさん

(俳句)

炬燵虫
ぬくぬくぬく
日が落ちる

作猫山阿霞さん

(俳句)

炬燵出し
よろこび入る
猫たちと

寒き朝
炬燵の中の
しあわせか

なまけてる
それも楽しき
炬燵かな

作雨ニモ風ニモガンニモ負ズさん


(俳句)

置炬燵居座る猫の足探る

寄り添えば妻もうたたね相炬燵

癇癪の足蹴り逃げる炬燵かな

足払い飛び出しおりし炬燵猫

作雅子さん


(ポエム)

こたつでうたた寝
まどろみにきみを見る
冬の贅沢
早く会いたいね

(俳句)

みかん食べ
黄色く染まる
きみの指

タップまたはクリックでご覧下さい下差し


作あさこさん


(短歌)

炬燵にて
愛をはぐくむ
雪の夜の
静かに応う
背なのひと文字

作涼風秋美さん

(短編小説)

題名 てんでんこ
登場人物
主人公 岬 あかり(みさきあかり)
駅員  山野涼平(やまのりょうへい)

東日本大震災は2011年3月11日
14時46分18.1秒に発生した
三陸鉄道は海の景色を見れるその
地域に住む人々の利用だけではなく
観光にも慕われている鉄道だった
あの東日本大震災により壊滅的な
被害を受け「復興」を合言葉に
やっと観光者達も戻りつつあった
岬あかりは岩手県の出身だった
あの日あかりは大切な家族を津波に
より奪われてしまった
それ以来故郷に帰る事ができなくなり
東京の小さな会社で編集者として
働いていた
このお正月は帰郷を決意し三陸鉄道の
炬燵列車に乗っていた
炬燵列車は賑やかな声と共に和気藹々
としていた
なまはげも出てきて活気があった
あかりはどうしてもあの時の記憶が
蘇り楽しめる気がしなかった
ふと、年末からの疲れもでて
炬燵の温かさもありウトウト睡魔に
襲われていた
「お母っさん!!」
と冷や汗をかいて叫んでいた
そばにいた観光客らしき人が
あかりの悲鳴にも似た声に驚き
「あれっ?どうしたん?」
と心配そうに聞いてきた年配の女性は
母と同じくらいだった
あかりは
「ちょっと疲れてて」
と言って何でもないと平静を装った
「みかんさ、食べる?」
とその女性は差し出して
「ありがとうございます」
とあかりは受け取った
「お姉さん、何かうなされてたよ
悪い夢みたの?」
その母と同じくらいの女性を見たら
母の面影を感じあかりは話始めた
「私、あの震災でたった1人の家族
母を津波で亡くしたのです」
その女性に語りかけた

あの日3月11日の日の事を〜
(お母っさん、今日おら早番でお昼
けぇるで買物さしてっから
お昼さつくってまってから)
と母淑子にメールをうった
淑子は地元の病院の看護師をして
女手1つであかりを育ててくれた
あかりは地元でコンビニバイトを
しながら東京の大学に行く為
学費を貯めていた
母からのメールは(おかっあも
夜勤明けだぁ昼過ぎけぇる)
そんな返信メールがきて近くの
スーパーで買い物をして淑子との
昼食準備を自宅に戻りしていた
東北岩手の3月はまだ凍える寒さ
だった
クリームシチューのいい香りが
部屋の中漂っていた
午後1時過ぎ淑子は
「たでぇま」と帰ってきて
「おけぇり、しばれた?」
とあかりは母淑子を出迎えた
「このにおいさクリームシチューだべ」
淑子はお腹の空き具合に鼻を 
クンクンさせる動作をした
「そげだ、二人のでぇ好きな
クリームシチューだべ」
あかりが母に笑顔で言った
淑子は手を洗って食卓についてから
クリームシチューを二人で食べた
あかりと淑子は偶にケンカもするが
仲のいい何でも話せる母娘だった
「クリームシチューさ作っと
お父っさん思い出すっぺなぁ」
あかりが母の淑子に言った
淑子は
「そげだねぇ、お父っさクリーム
シチューうめぇ、うめぇって」
あかりの父親辰哉はあかりが小学生の
頃癌で亡くなっていた
看護師なのに気付かずと淑子は
その頃自分を責めた
献身的な看護をして最後は笑うように
「ありがとがんした」と息を引き
取った
クリームシチューを食べ終え
淑子は言った
「あかりって名めぇお父っさんが
つけたべ、お父っさん漁師だったべ
灯台のあかりさ見るとホッと
するんだと、すったからそげん
灯台のあかりさみてぇな
めんこい娘っ子に育ってほしさって」
「そげこと、初めぇて聞いたべ」
「んだって初めて話すんだべ」
淑子はそう言って笑った
食べ終え食器を片付け始め午後2時を
まわり始めた頃それぞれの部屋で
休みを取った頃大きな凄まじい
地響きと揺れるのを感じた
立ってられずあかりはとっさに机の
下に逃げ込んだ
アッという間の出来事で家具が
散乱していた
あかりは何がおこったか?
わからないまま
「お母っさん、なんだぁさっきの」
と下の部屋にいる母淑子の様子を
見に行った
「あかり、でぇじょうぶか?」
淑子もテーブルの下に避難していた
台所の物も散乱していた
あかりの家からは海が見える距離に
あった
「あかり、こりゃ地震だべ、はよぉ
高台さ逃げるべ」
そういう母に
「なんでぇ?高台さの?」
「津波くるっぺ、ばぁんちゃんさ
きぃてかっら地震さきたら
高ぇところさにげんだとぉ
そういわれってから、はよぉあかりも
逃げっぺ」
そう言って取るものも取り敢えず
母と高台に逃げた
あかりは逃げる途中父の笑顔を
思い出し
「お母っさん、お父っさんの写真さと
お父っさんがくれたおらにって珊瑚の
ペンダントさ、とってくぺ」   
父が漁師で見つけた珊瑚で作った
大事な父の形見だった
それを見た淑子は
「お母っさんが取ってくるけん
あかりは逃げんだ、裏山のたけぇさ
とこんいけぇーはよぉいけぇー
そう言って家に戻る母を心配そうに
呼んだ
「お母っさーーーん」そんな娘の
あかりに淑子は叫んだ 
「あかり!てんでんこ」
その意味が分からないままあかりは
裏山に逃げ母の戻るのを待った
何日も何日も避難所にもまわり
つらい気持ちをおさえ遺体安置所
まで行った
母の行方は以前分からなかった
母が叫んだ最後の言葉「てんでんこ亅
それはてんでんばらばらに逃げても
生きていれば何処かで会える
先ずはてんでんばらばらに逃げるのが
いいとの教えだった
それが母淑子を見た最後になった
「私があの時あんな事さえ言いさえ
しなければお母さんは、お母さんは…」
と泣きながら話すあかりに
炬燵を一緒に入っていた見知らぬ
母に何処か似ている女性はあかりの
肩にソッと手をおき
「そんな風に考えちゃだめ
自分を責めたらダメよ
お母さんはてんでんこと言ったのよね
もしかしたらわからないわよ」
「でもあれから何年経ってるか?」
「何かの事情で生きてみえるかも
知れないわよ例え万一亡くなられても
それはあなたを助けた事で
お母様は恨んではないわ、むしろ
あなたを守れた事が嬉しかったはず
だわ」
そう言ったその女性の笑顔に救われた
終点に着きその女性と手を振って
深々お辞儀をして別れた
旅の情けが身に滲みたあかりだった
あれから10年近い日が経っていた
ふと駅員に呼びとめられた
「あかりちゃん?岬あかりちゃん
だべ?おら山野涼平学校いっこ上
だったべ」
「涼平くん?駅員さんさになったべ?」
あかりが懐かしく笑顔で答えていた
「あかりちゃんあれから行方分かん
ねぇくて、探してたんだ明日ここさ
訪ねてみてくれっか」
そう言ってメモ書きを渡した
その住所に行ってみた
町並みはすっかり復興して変わって
いたが津波で破壊しつくされた
光景しか見てないあかりにとって
それは夢をみているようだった
涼平の渡してくれた住所に行った
あかりは
「あの、駅員さんの山野涼平さんに
言われここにきたのですが〜」
「おめぇさ、岬あかりさんだべか?」
そう窓口で言われて通された部屋で
見たのは車椅子を押されてきた
母淑子だった


そしてあかりは泪で目が霞んだ
「お母っさん、たっしゃだったべ?」
あかりが母淑子に近付いた
「ありがとがんす、おめぇさだれ
だべ?おらのあかりさ
どこさいんだべか
そう言ったあかりを見て言った母に
わからないのかなとも思いもう一度
言った
「お母っさん、おらがあかりだべ
娘っこのあかりだ
たっしゃだったんだべなぁ
夢っこさみてるみてぇだぁ
そう言ったあかりに
「いぃんや、おら、あかりさいう
わらしさめっけてくんちゃい
おめぇさ、だれだべか?」
その様子を見て付きそっていた
介護士が説明した
「岬さん、あの震災で記憶を所々無く
されていて津波で奇跡的に救助された
時は記憶を失われ手にサンゴの
首飾りと写真お持ちでしたが見分け
つかないほどボロボロでそれで
あかり、あかりとそれだけを言われて
ました」
「記憶を?」
あかりは泪を拭いながら母の記憶喪失
聞いた
介護士はさらにその後の経緯を話した
「記憶が無いことで余計困難になり
八方手を尽くしましたがあの震災の
混乱の中(あかり)と言われる手がかり
では探すの難航しました
ご家族様の心あたりと聞いたりした
のですがあかりさんの行方が分からず
月日だけが経ちました
駅員さんがあかりさんをご存知とかで
もし生きていたらきっと帰る日も
あるからとずっとお待ちしてました亅
そう語ってくれた
「あかり、てんでんこ」
と時折淑子さん言われますと介護士が
静かに言った
「あの、地震の時逃げる時母が
叫んだんですあかり!てんでんこと」
「そうですね、てんでんこ
そうしたらきっと会える」
介護士の言葉に頷いて今は記憶の無い
母淑子を抱きしめあかりは母の
膝で泣いていた
「お母さん、生きていてくれた
てんでんこだね、ごめんねこれから
親孝行するからね」
そんなあかりの頭を優しく撫でる
母の淑子が微笑んでいた
あかりはその後故郷に帰り母の
介護をしながら(奇跡のてんでんこ)
というエッセイを書き上げその年の春
書店に並んでいた
〜母の記憶は戻らないがあの怖い
震災の日も忘れて私の幼い日の
記憶の中にいる、生きてさえいて
くれたらまた会える
母の教た「てんでんこ」それがこの
奇跡の話として取り上げられたのは
言うまでもない事だった〜
と著者の岬あかりのあとがきにそう
書かれてあった
[完]

参考資料
三陸地方では昔から「津波起きたらてんでんこだ」と伝えられてきたという。同様の標語に、自分の命は自分で守れという意味の「命てんでんこ」があり「てんでんこ」の形の標語ないし合い言葉は古くからあると考えられている

※この物語はフィクションであり
実在の人物・団体とは一切関係ありません

(俳句)

故郷へと
炬燵列車の
幸招く

作こマメ

※写真はすべてイメージでおかりしました
ご参加ありがとうございました

次回も宜しくお願いしますm(_ _)m


※作品作って掲載されていないとか誤字間違い等

あればコメントにて遠慮なくお申し出ください

訂正させていただきます

ご自分の作品に解説希望等の方

付け加えさせていただきますので

コメントにてお申出下さい

また作品掲載中でも作られた方も

コメントにてお願いします

今回も皆さんの秀作出揃いました

前向きコメントでお願いします

次のお題作品が楽しくできるので

宜しくお願いしますm(_ _)m

今回は沢山の作品がありもし

あれ?載ってないよという作品

あればコメントにてお申し出下さい

また一人1ジャンル5作品迄で

宜しくお願いします

例俳句5句短歌5句などでお願いします