今から21年前の、私が高校二年生だったときのおはなし
2月3日は、地元では朝から雪が降っていた
当時私たちの間で、よくたまり場に使っていた建物があり、その日もたまり場に友達と一緒に行った
玄関ロビーに差し掛かったとき、私は雪が靴裏についていたせいで、滑りそうになった
そのロビーに紳士的なオジサンがいて、滑りそうになった私を、抱きかかえるようにして助けてくれた
助けてもらい安心したのも束の間、私はすぐにオジサンにお礼を言った
そして別れ際オジサンに、『またね!』と、言った
また会える保証もないのに・・・
それから1か月の時が過ぎ、私たちは再会した
もう会えないと思っていた私は、再会に驚きを隠せなかった
『元気だったか?』
その言葉に、眩暈がしてしまいそうだった
あの雪の日に私を助けてくれたオジサンは、なんと、その建物にある事務所(教育委員会)で働いていたのだ
あのとき私は、出張とかでたまたまこの街を訪れている人なんだろうな、くらいにしか思っていなかったから
まさか、その建物がオジサンの職場だったなんて、思いもしなかったので、凄く驚いた
少しオジサンと会話をして、その時に携帯電話の番号を教えられた
まさか私たちが、そんな深い関係になるとは、そのときは露ほども思わなかった
それから3週間後、私は彼の車の助手席で
処女を奪われた
それから私が、18、19、20と歳を重ねるのを、ずっと傍で見守っていてくれた
厳しいことも言われたし、優しさに甘えさせてもらったり、まるで父親のように私を叱咤激励しながら、
高校卒業、車の免許取得、社会人としての第一歩、結婚が決まるまで、私の女としての目まぐるしい時期を、身心ともにサポートしてくれた
年の差は31歳と大きく離れていたけど、こんなにも生涯で愛した人は、他にいないのかなと思う程に、恋焦がれていた
いつかどこかでまた会えるといいな・・・
お別れするときに『またね!』って言ったら
『またな!』と言ってくれたのを、今でも鮮明に覚えている
Sさん、今年で古希ですね
2月3日は、地元では朝から雪が降っていた
当時私たちの間で、よくたまり場に使っていた建物があり、その日もたまり場に友達と一緒に行った
玄関ロビーに差し掛かったとき、私は雪が靴裏についていたせいで、滑りそうになった
そのロビーに紳士的なオジサンがいて、滑りそうになった私を、抱きかかえるようにして助けてくれた
助けてもらい安心したのも束の間、私はすぐにオジサンにお礼を言った
そして別れ際オジサンに、『またね!』と、言った
また会える保証もないのに・・・
それから1か月の時が過ぎ、私たちは再会した
もう会えないと思っていた私は、再会に驚きを隠せなかった
『元気だったか?』
その言葉に、眩暈がしてしまいそうだった
あの雪の日に私を助けてくれたオジサンは、なんと、その建物にある事務所(教育委員会)で働いていたのだ
あのとき私は、出張とかでたまたまこの街を訪れている人なんだろうな、くらいにしか思っていなかったから
まさか、その建物がオジサンの職場だったなんて、思いもしなかったので、凄く驚いた
少しオジサンと会話をして、その時に携帯電話の番号を教えられた
まさか私たちが、そんな深い関係になるとは、そのときは露ほども思わなかった
それから3週間後、私は彼の車の助手席で
処女を奪われた
それから私が、18、19、20と歳を重ねるのを、ずっと傍で見守っていてくれた
厳しいことも言われたし、優しさに甘えさせてもらったり、まるで父親のように私を叱咤激励しながら、
高校卒業、車の免許取得、社会人としての第一歩、結婚が決まるまで、私の女としての目まぐるしい時期を、身心ともにサポートしてくれた
年の差は31歳と大きく離れていたけど、こんなにも生涯で愛した人は、他にいないのかなと思う程に、恋焦がれていた
いつかどこかでまた会えるといいな・・・
お別れするときに『またね!』って言ったら
『またな!』と言ってくれたのを、今でも鮮明に覚えている
Sさん、今年で古希ですね
あなたが今でも幸せに過ごしていてくれたら、私も幸せですよ
あの時もらったZARDのアルバム「永遠」は、未だに大事に仕舞ってあります
朱い果実を見たら、私のことを思い出してくれていますか?
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