「椿の会」のブログにお越しくださりありがとうございます。


お写真をこなつさんから拝借させていただきました。


志ら玉で行われたお茶会に参加させていただきました。

お誘いいただいたのは良いのですが

その言葉を鵜呑みにして出かけてよいものやらと迷いましたが

生徒さんの行きたいですという声に押され

出向きました。


まあ亭主と正客さまのやりとりの面白いこと


こんなお茶会の風景を生徒さんにみせられたことが何より良かったです。

90歳を越す正客さまだから発しても許される発言があります。


「 若い頃はお茶碗をゆっくり見ても何も分からないんだから

さっさとおまわしなさい 

頭で勉強して少しは分かるようになってからゆっくりみなさい 」


亭主の若い頃に周りの大人にそう何度も言われたと仰り


正客さまも

「 そうそう コーチがベトナムのどのあたりとか分かるようじゃなきゃ

見ても意味がないわ 勉強しないと 」


そう答えられていました。


昔、師匠に

「 あなたレベルで触らせてもらって何が分かると言うの

ちょっと手に取らせてください と簡単に言っても

相手は何が分かるものかと思うわよ 」


と同じようなことを言われたことを思い出しました。


一期一会であるがゆえに

手に取りたくなったり

じっとゆっくり拝見したくなったりするものでしょうが

それにもレベルというものがあるということを教えていただきました。



頭だけの勉強ではいけませんが

ただ見るだけでも良くない


バランスなのでしょうか。


大名物に君臨する茶道具は誰の目から見ても美しい


抜けない圧倒的な美は


飾らず、計算なく、奢りもてらいもなく

素朴であるものばかりです。


誰から見ても抜けない圧倒的な美しい人間と

同じだなと思います。


自ら威張らず

勝手に光るような


静かな中で

圧倒的な存在感


道具からも人としての学びがあります。


大名物の美さえ分からない人がいるというのは

どれだけ感覚が鈍っているのかとある著書で

嘆きがつぶやかれていましたが

日々の生活の衰えや精神の衰えとともに

目も曇ってしまうのだろうと

また初心を思い出させていただけました。



「椿の会」はじめての茶道3回完結教室
     IN 名古屋