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椿の会の生徒さんへ向けた資料を
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8、 分相応なくらし
本物のお茶室でお稽古をされている大先生
茶道のことにどっぷり詳しい大先生
茶道の精神を実践されている大先生
わが家とはくらべものにならないくらいのお道具をもつ大先生
そんな普段では繋がれない方と茶道を通じて
ご縁のお与えがあることがあります。
嬉しい反面、その足元にも及ばない私ですから
生徒さんに対して申し訳ない気持ちになったり
家元の花押があるお道具が欲しくなったりと
色んな感情が湧いてくることも多々ありました。
本流の茶道教室で教えてみえる先生からすれば、
茶道の入り口だけといっても
マンションで茶道教室なんてあり得ないと忠告されるかもしれません。
この点に関しては、主人とともに本当に自問自答を繰り返しました。
(繰り返しております)
けれど、どんなに素晴らしいことも条件が満たされた人しか楽しめないならばこれからの茶道は廃れるのではと思うのです。
また、茶道を習いたいと自ら足を運べる人よりも
全く関心のない方の方が実は
「自分を見つめる時間は必要だったりするのです」
そして全く関心のない方の多くはかつての私のように
茶道に対して大きな勘違いというか思い込みがあるように思います。
それを自宅で分相応に気楽にお茶のある生活をしている私が
お伝えすることで少しだけでも茶道に対して
興味をもつきっかけになってくれればと思うのです。
このお茶碗がないと
こんなお茶室でないと
これを買いたい これが欲しい これがなければ出来ない
ないものに対する欲求はナンセンスです。
利休さんはこう仰っております。
「家屋敷を立派にしたり、食事の珍味を楽しみとするのは俗世間のことである。
家は雨がもらないほどでよいし、食事も飢えないほどで十分である。」
「釜一つあればお茶は楽しめる」
とも。
今ある中で無理せず、ただお茶のこころは大切にお茶の末席を楽しめれば十分です。
ですから、生徒さんたちにも言います。
着物や茶道具を無理してまで揃える必要はない。
ある中で楽しみましょうと。
本当に必要なら必要な時期に必ずご縁があるものなのです。