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椿の会茶道教室の生徒さんに向けた資料を
このblogでも公開しております。(あくまで個人的意見です)
ご興味のある方はご覧くださいませ。
7、掃除とは汚れたところを綺麗にするものではありません
師匠宅はいつ訪れてもピカピカです。
まるで禅寺、永平寺を訪れたときと同じような凛とした清浄な空気がたちこめています。
それは拭き掃除のたまものです。
掃除は汚れたところを綺麗にするのではなく
自分の顔と同じようにいつも綺麗に拭くものです。
掃除をすることが何より自分の心を清める行為につながると教わりました。
お点前の形の中にも、汚れていないお道具を清める所作が何度も出てきます。
袱紗で茶杓を清めるとき私の頭に呪文のように流れる一説は
「ゆがまする 人にまかせてゆがむなる
これぞ直ぐなる竹の心 」
小堀遠州の一説です。
汚れを拭いているのではない。
竹の精神を自分の心に宿しなさいということです。
竹はまっすぐに伸びます。
けれど、茶杓師がかい先を曲げようと力を加えるとその人の力加減までゆがむことができるのです。
竹のように自分にまっすぐな芯をもち、目の前の相手にどれだけでも歪ませられる自分になりなさいという教えです。
ただ清めるその一つの行為だけでも学びは含まれています。
生きていると勝手に透明から色がついてきます。
それを限りなく透明に近づけて相手に接すること。
それを茶道では清めること、掃除することなどを通して一番大切にしています。
古くからの言い伝えで、トイレや台所を汚くすると女性は婦人病を患うなどと聞いたこともあります。
逆にトイレを綺麗にすると可愛い子供が生まれるとも。
それが真実かは分かりませんが、そういって清めることを受け継ぐことは先人の知恵かもしれません。