バガボンド ~さすらい大学生の旅日記~ -6ページ目

デリーの洗礼

バンコクでの怠けきった生活からなんとか抜け出し、東南アジアとは異なる文化圏に属するインドへ向かった。首都ニューデリーは世界で一番危険な街と聞いていたが、身をもって体験することになるとは快適な機内では思いもしなかった。

夜の9時に到着予定だったので、あらかじめ空港から宿までの車をチャーターしていた。と言っても宿を予約しているわけではなく、いつも通り適当に探せばよいかと思っていた。ニューデリーに到着し、入国審査を済ませ、出口へ向かう。出口にはおそらく車をチャーターしているであろう人々のネームプレートを持ったタクシードライバーが100人ほどごった返していた。その中から自分の名前の書かれたプレートを持ったドライバーを見つけ、声をかけた。すると、少し待っていてくれということなのでイスに座って待つことにした。
しかしどうもこいつが怪しい。両替に行くというと今はやめておけ、後でレートのいいところに連れて行ってやると言ってきたり、試しに今からどこへ行くんだと聞くと急に言葉を濁したりしだしたので、これは旅行代理店に連れて行かれるのではないかという疑いの眼差しを向けずにはいられなかった。

タバコを吸うため空港の外へ出ると、案の定まだ客を捕まえていないフリーのドライバーたちがたむろしていた。話しかけられても適当にあしらっていたが、その中の一人が流暢な日本語で話しかけてきた。「どこへ行くんですか?」ちょっと面白そうなので話してみる事にした。そいつは名前をラジャといった。その話の中で車をチャーターしているが、どうもドライバーが怪しいと思うという旨の話をしていたら、そこへさっきのドライバーが近づいてきて、もう行くぞと言ってきた。その時ラジャがヒンドゥー語で今からどこへ行くんだとそいつを問い詰め出した。
するとそいつは自分が予約する時に伝えていたホテルとは別のところに行くと言ったらしく、ポリース!!ポリース!!と胸倉を掴まれながらどこかへ連れて行かれてしまった。自分はその異様な光景を目の当たりにして言葉が出ず、あぁこれがインドなのかと変に納得してしまった。それと同時にいい奴もいるんだなと感心してしまった。

事態は落ち着き、「助けてくれてありがとう。」と言うと、ラジャは「当り前さ。」なんてキザなセリフをはいて、さっと車に乗り込んだ。じゃあ行こうかというラジャの問いに二つ返事でひょいひょいと付いて行ってしまった。

これから地獄の夜が始まるとも知らずに…。



車内での会話は盛り上がり、タバコを吸いながら楽しんでいると、ラジャがホテルのアドレスは知っているかと聞いてきた。知らないと答えると、自分も知らないと答えた。これは困ったなと少し悩んだ後、それじゃあ自分の知っている旅行代理店でホテルのアドレスを調べに行こうと言い出した。
これは一本取られたと思った。このようにして旅行代理店に連れて行くのか、なるほど、これはまさに名人芸であると感心してしまった。自分はなるようになるかとかなり楽観的に考えていたので、その旅行代理店に行くことにした。もしかしたら本当に親切な奴なのかもしれないと淡い期待を抱いていたが、それは程なくしていとも簡単に裏切られることになった。

見る見るうちに暗く細い路地を走って行き、土地勘の無い自分でもおよそここがデリーの中心から外れたところへ向かっていることは容易に想像できた。ようやくその代理店とやらに到着し、中へ入った。中は電気のところに蚊が数百数千という数で群がっており、お世辞にもきれいとは言えない、そしてここが正規の代理店ではないぼったくりの代理店であることに気付いた。しかし、NOという強い意志さえ持っていれば、大丈夫だろうとこの時は思っていた。

とりあえず自分が目星をつけていたホテルへ電話してもらい、部屋はあるかと尋ねたところ、空きは無いということだった。立て続けに何軒か電話してみたもののどこも空きは無かった。それもそのはずこの時期はヒンドゥー教徒にとって最も大きな祭りのひとつ、ダシェラ祭の開催中だったのだ。そのことは知っていたのだが、まさかここまでホテルに空きが無いとは予想もしていなかった。
空いているのは軒並みヒルトンやペニンシュラといった一泊500ドルはくだらない5つ星ホテルだけだった。しかも祭りはあと4日も続くとのことなので、デリーに滞在することは諦めて他の都市へ移動することにした。電車かバスで移動しようと思い、調べてもらうとこれまたすべて満席。これもそれも宿を予約していなかった自分が悪いのだが、頭を抱えてしまった。

 さぁどうしようと考えていると、店員の男がデリーの次はどこへ行くんだと聞いてきた。まだ決めていないというとツアーを組まないかと言ってきた。冗談じゃないと断るとじゃあどうするんだと言ってきた。ちょっと待ってくれと言い、考え込んでしまった。この時点でこの如何わしい代理店に来てから2時間が過ぎ、時間はすでに12時を回ろうとしていた。

 すると男がタージマハルのあるアグラまでミニバスで行かないかと提案してきた。タージマハルは見たいと思っていたので、それもありかも知れないと思い、いくらだと聞くと300ドルだと言った。聞き間違いかと思い300ドル?と聞き返してみると、男はそうだと答えた。ふざけるなと思い、それはあり得ないと答えると、男はじゃあお前はどうするんだ!!さっさと決めろ!!もう2時間も経ってるんだ!!と声を荒げた。

 その声に反応してか店内に10人ほどの男たちがぞろぞろと店内に入ってきて囲まれてしまった。
まずい、これはまずい。これが今まで数々の旅行者たちが引っ掛かってきたぼったくりの手口か、とそんな事を考える余裕は微塵も無かった。とりあえずこのまま日本から遠く離れた土地、ここインドのデリーで身ぐるみをはがされて、どこかのゴミ捨て場に捨てられるのはごめんだと思った。

 内心は逃げ出したい気持だったが、努めて冷静を装い、値段交渉に試みる事にした。300ドルは高すぎる。100ドルにしろと言うと、それはあり得ないと返される。100ドルでも十分に法外な値段である。それを払うというこちらの最大の妥協案にも一切耳を貸さなかった。早くこの非現実、そしてあまりにも理不尽なこの環境から抜け出したい気持でいっぱいだったが、辛抱強く、言葉を慎重に選びながら交渉を進めた。
インド人10人に囲まれながらの交渉は難航した。そりゃあ10対1ではどう考えてもこちらが不利だからだ。しかし、簡単には諦めず、粘りに粘った。いつ殴られて何をされるかわからないこの状況を少し楽しんでいるように感じた時、この旅を通して自分は随分と図太くなったというか鈍感になったものだと思った。

 そして粘り強い交渉の甲斐もあって、なんとか半額の150ドルまで下げ、さらにバジットクラスのホテル一泊付とオプションまで付けることに事に成功した。150ドルあれば軽く10日間ぐらいは生活できるので非常に手痛い出費だが、150ドルを払ってこの状況から一刻も早く抜け出せるならと思い、支払うことにした。背に腹は代えられない。「試合に負けて勝負に勝った」とでも言っておこうか。
何、高級なホテルに一泊泊まったと思えば、安いものだと自分を無理矢理納得させることにした。しかしながら、この旅の最大の目標は「死なないこと」なので、なんとかそれを達成することが出来、安堵の表情を浮かべる…、暇も無く、早々と白いボロボロの軽自動車に乗せられた。

デリーからアグラまでわずか200kmの道のりだが、長旅そしてインド人との戦いに激しく体力を消耗していたので、眠りにつこうかと考えていたが、それはドライバーのせいで不可能なものになってしまった…。


続く