【変わらぬ社会・・・・・。成果主義】 | Tripのブログ

【変わらぬ社会・・・・・。成果主義】

今日貰ったお菓子。

t

台湾のお菓子ですね~。


これのパイナップル味が好きなんですが、


女性に人気が高く、男性の我々は・・・・。


でも美味しかったけどね!


んで、本題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

今日ふと以前に読んだ、


『日経ものづくり』に掲載された


『御恩と奉公』の成果主義

という記事を思い出した。

これだけ景気後退すると企業としての原資も


薄くなる訳で、成果主義が必ずしも成り立つか


どうかは???かなとも思う。


ただ、景気が後退した今、


更に成果主義や格差は加速するのだろう・・・・・・・・。

内容は以下。
※日系ものづくりからの引用。

 「御恩と奉公」と聞くと,「主家の御恩は海より深く,山より高い」とか


「身を粉にして奉公する」といった古臭い倫理観を連想させ,主人側が


圧倒的に強い主従関係というイメージがあります。ところが,鎌倉時代


に幕府と御家人の間で御恩と奉公の関係が確立した当時は,クール


で実利的な主従関係でした。道徳的な色彩が強まり,主人側が圧倒


的に強くなったのは江戸時代以降のことです。

 鎌倉時代,御恩とは突き詰めれば土地の所有権のことでした。一方,


代表的な奉公は戦場での成果。つまり,御家人の成果(奉公)に対して,


幕府は土地で報いる(御恩)というのが骨格です。これは典型的な


成果主義です。

 御恩と奉公の成果主義は,鎌倉武士の戦い方にも影響を与えています。


当時は武士同士の一騎打ちが主流。元寇の際,集団で戦う元軍に対して


単騎で突入した鎌倉武士に対して,戦法の後進性がよく指摘されますが,


成果主義の観点から見ると一騎打ちにならざるを得ません。集団で戦った


場合は,誰の成果か分からなくなってしまうからです。

 また,鎌倉武士は戦いの前に名のりを上げました。これは成果を“人事


記録”に確実に残すためです。たとえその戦いで討ち死にしたとしても,


周囲にいた人間が証人なって奉公が幕府に報告され,“査定”に反映


されます。


討ち死にした場合,御恩は子孫に付与されます。御恩がなければ


奉公はタダ働きになってしまうので,鎌倉武士にとって名のりは


必須だったのです。

 こうした御恩と奉公の成果主義はうまく機能しました。それには御恩の


“原資”が順調に拡大したことが味方しました。鎌倉幕府の影響力は,


関東八州から日本全国に拡大していきます。いってみれば,


先行していた朝廷・公家陣営から“マーケットシェア”を奪い,


高度成長を続けたのです。


※ 続きは明日!


Gooooooooooood Night!!!


TETSUYA