『カシスウー論』 ~『カフェ・ラ・ボエム 世田谷店』編~


 こんにちは 菓子酢ウーロンです。 
 第24回『カシスウー論』は、『カフェ・ラ・ボエム 世田谷店』編です。

--------------------------------------------------------------------------
 
 いつものように『カフェ・ラ・ボエム 世田谷店』の場所を簡単に説明してもいいのだが、
 わざわざ説明する必要もないかなという気はする。

 都内には『カフェ・ラ・ボエム』がたくさんあるので、
 三軒茶屋・池尻あたりに住んでいたり、職場があるという人くらいしか世田谷店には行かないだろうし、
 そんな人はまず間違いなく『カフェ・ラ・ボエム』を知っているだろう。

 念のため、一応説明すると、三宿通り沿い、世田谷公園裏にあります。

 
 しかし、まあ「ちょっとオシャレかな」と思われる街には必ず『カフェ・ラ・ボエム』がある。

 暇な女子大生を10人集めて、「東京オシャレな街ベスト5を決めてください」とお願いしたら、
 きっとその5つには間違いなく『カフェ・ラ・ボエム』があるに違いない。

 気になってホームページを調べてみたら、
 銀座、お台場、代官山、六本木、北青山、南青山、新宿御苑、桜新町、渋谷、白金、自由が丘、
 表参道、西麻布、麻布十番、骨董通り(ここもほとんど表参道)にあるらしい。

 別に、どこにあっても構わないんだけど、なんとなく嫌みなラインナップではあるね。
 
 田舎から東京へ出てきて、ミッション系の大学の英文科かなんかに通っている人は、
 ぜひとも、歩いて『カフェ・ラ・ボエム』に行ける場所に住んでください。

 田舎のお父さん、お母さんは、家賃の高さにひっくり返るでしょうが、
 それが憧れの東京ライフというものなので、簡便してやってください。


 憧れの東京ライフとはほど遠いが、私は子どものころ池尻大橋に住んでいたことがある。
 ちょっと無理をすれば、『カフェ・ラ・ボエム 世田谷店』まで歩ける場所だ。
 (たぶん、当時はなかっただろうけど・・・)

 もともとは大阪で生まれて、3歳のときに父親の仕事の都合で池尻大橋の社宅に引っ越してきた。
 そして、小学校2年までそこで暮らした。

 初めて通った小学校は目黒区の東山小学校というところで、
 校庭は箱庭のように狭く、地面はグレーのアスファルトみたいなコンクリート敷きだった。
 (いまはどうなっているのかはわからない)

 当時はそれが当たり前だと思っていたので、小学3年で千葉の流山に引っ越したときは、
 学校のグラウンドが広いのと、土だったのに衝撃を受けた。
 それと、ジャージで学校に通うのにもびっくりした。
 目黒区の小学生は、ジーパンをはき、スタジャンなんかを着て通学していたから。

 小学校低学年までの私は、典型的な都会っ子だったのだ。

 当時、私を含め、周りの都会っ子は例外なく公文(計算とかを教えてくれる学習塾)に通っていた。
 ヘンテコな指定鞄にふでばこだけを入れて、塾に着いたらひたすら計算練習用のプリントをやる。

 私も仕方なくカリカリ計算していたが、とにかくこれが苦痛だった。
「12×15」がいくつだろうと、「15÷4」が割り切れようと、割り切れなかろうと、
「どうだっていいよ!」と子どもながらにいつも私は思っていた。

 そんなわけで私はよく公文をさぼっていた。
 公文へ行くふりをしながら、じつは世田谷公園のプールへ行って、一人でパシャパシャ遊んでいたのだ。
 暗いと言えば暗いけど、ひたすら計算問題を解くよりよっぽどマシだ。

 これがまた子どもらしいところで、水着の水をしっかり絞っておけば親にはバレないと思い込んでいた。
 本当は始めから親は知っていて、コソコソと世田谷公園へ行く息子をしばらく泳がせていたのだ。
 プールだけに、泳がせていたってことだ。(くだらなくて、すみません・・・)
 
 しかし、親だっていつまでも黙ってはいない。
 小学2年の一学期が終わろうとしているころ、父親からもの凄い勢いで怒られる日がやってきた。

「そんなに公文に行きたくないなら、いますぐ辞めるって言ってこい!
 そして、そんなにプールに行きたいなら、夏休み中一日も欠かさずプールへ行け!」と言われた。

 怒鳴る親父は滅茶苦茶怖かったが、
「これで公文に行かなくて済むし、プールへも思いっきり行ける」と内心は嬉しかった。

 そんな事情により、小学2年生の私は夏休みの間、毎日世田谷公園のプールに通った。
「毎日のように」ではなく、文字通り毎日通ったのだ。

 私にとって、これはなかなかの快挙だった。
 自慢じゃないが、私は何をやっても長続きしない。(こんなことが自慢になるわけがない)

 公文だって実際に通っていたのは2か月くらいだし、
 姉がやっていたという理由で始めたエレクトーンは3か月で辞めた。

 それが理由で辞めたわけではないが、
 エレクトーンを教えてくれるおばちゃん(先生)の厚化粧は異様に怖かった。
 ただでさえお化けみたな顔をしているのに、
 演奏が乗ってくるとゆらゆらと過剰なまでに体をゆらゆら揺らすので、
 獅子舞が襲ってくるような本格的な恐怖を覚えた。

 エレクトーンそのものに関しては、「僕もやってみたい」と自分で言った手前何回かは通ったが、
 はっきり言って最初からまったくおもしろくなかった。
 たぶん、まるっきり才能がなかったのだろう。

 才能がないと言えば、習字はもっとひどかった。
 友だちのお母さんが習字を教えているということで、クラスの何人かで一緒に習い始めたことがあった。

 正直言うと、最初から 「あんな薄っぺらい紙に、何が嬉しくて墨で字を書かなければならないんだろう」
 と思っていたが、みんなが行くというので、とりあえず私も行くことになったのだ。

 最初に書いた文字はもう忘れてしまったが、「大空」とか、「明るい」とか、どうでもいいことを書いたはずだ。

 そして、自分でも予想していた通り、私の作品がぶっちぎりにへたくそだった。
 子どもの書く字なんて、たいていどれもへたくそだが、
 そのへたくそ集団のなかで、私の字は飛び抜けてへたくそだった。

 もちろん、先生は何も言わなかったが、それだけは自分でもすぐにわかった。

 そもそも、習字ってヤツは準備も片づけも面倒で、正座をして仰々しく墨を擦る感じも肌に合わなかった。
 墨汁のキャップをしっかり締めていないと、中身がこぼれて道具が全部真っ黒になって、
 ベタベタ、カピカピになってしまうし、すずりの裏がプラスチックケースにへばりついて、取れなくなることもあった。

 とにかく、習字とはとことん相性が悪かったのだ。
 そんなわけで、友だちのおばさんから習う習字は一日で辞めた。

 最初の日に「よろしくお願いします」と言って、
 次に訪れたときは「どうもありがとうございました」と言って帰ってきただけだ。

 その後も習字は大の苦手で、中学校の宿題で書き初めを提出したときは、
 担任の先生から「学年で、オマエが一番下手だ」とはっきり言われた。

 そりゃあ、そうだろう。
 小学生のへたくそ集団のなかでぶっちぎっていた私が、
 一度も練習をせず、一発目に書いたものを提出していたのだから、へたくそに決まっている。
 字が間違ってないだけ、マシというものだ。
 
 
 いまから振り返ると、もう少し真面目に習字をやっていれば、
 もっと字が上手になったのになぁ・・・と後悔しないでもないが、
 タイムマシンに乗って、当時の自分に「もう少し、がんばってみろ!」と言ったところで、
 こっそりプールに行くのがオチだろうなぁ・・・

 

 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

  『カシスウー論』の最新号はメルマガで!
  登録をお願いします。
 
  登録解除のお手続きは http://www.mag2.com/m/0000287963.html
 
 ↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑