『カシスウー論』 ~だって、おもしろいじゃん編~

こんにちは イイダテツヤです。 
第80回『カシスウー論』は、「だって、おもしろいじゃん』編です。

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 先日の「情熱大陸」で田原総一朗が取り上げられていた。

 「朝まで生テレビ」で、激論を煽っておいて、絶妙なところで「ちょっと待って、一旦CM」というあのオッサンだが、
実際のところ、彼自身に注目する番組はめずらしいのではないだろうか。

 いつもは彼の前に事件や問題があって、彼自身がどうこうという話ではないからだ。

 それで、改めて田原総一朗という人の仕事ぶりを見ていると、「なんともいえない潔さがある」と私は思った。
 彼からは「社会ため」とか「日本のため」という、大義名分みたいなものがまるで感じられず、
 純粋な好奇心で仕事をしているように見えるのだ。

 別に「社会のため」「日本のため」に働くのが悪いと言うわけではない。
 でも、田原総一朗くらい純粋な好奇心で仕事をされると、「それはそれでカッコイイものだなぁ」と思ってしまう。

 あの白髪のオッサンは、
 「これはいったいどういうこと?」
 「今度は、どんなふうになるの?」
 「それについて、あんたたちはどう考えてるの? 何をするつもりなの?」
 と子どものように、疑問をぶつけ、情報を集めまくる。

 自分を偉く見せようとか、大金を稼ごうなんて野心はほとんどなく、
 ひたすら「それって、どうして?」「なんで、やんないの?」「なんか、やれない理由あんの?」
 とガシガシ聞きまるのだ。

 そうやって乱暴に議論をふっかけ、その場を盛り上げるような(あるいは、荒らすような)ことをやっておいて、
 最後には、田原総一朗っぽくニヤリと笑う。 

 それが田原総一郎なのだ。


 「情熱大陸」のなかでは、ツイッターで知り合った大学生たちを事務所に招いて、
 議論というか、質疑応答をするという場面が紹介されていた。

 田原総一朗を前にして緊張した面持ちの大学生が「どうして、僕たちと会ってくれたんですか?」
 と率直な質問したとき、田原総一朗は「だって、おもしろいじゃない」とさらりと答えた。

 その場面を見て、私は妙に感心してしまった。
 結局、彼は「だって、おもしろいじゃない」と思えることやっているだけなのか。
 良くも悪くも、すごいことだ。


 世の中には、いろんな動機で、いろんな仕事、活動をしている人たちがいる。
 お金のために働いている人もいれば、
 「社会が少しでも良くなれば」という純粋な奉仕精神で動いている人も大勢いる。

 それはそれで、もちろんすばらしい。

 でも、その人たちに「なんで、そんなことをやってるんですか?」と尋ねたとき、
 もっともカッコイイ答えは「だって、おもしろいじゃない」だと私は思う。

 「世のため」「人のため」「自分のため」「家族のため」「金のため」じゃなく、
 ただ単純に「だって、おもしろいじゃない」。

 なんてカッコよく、潔いんだ。

 どんなに価値ある活動も、苦しそうに、辛そうにやられてしまうと、
 「いやぁ、ホント、ご立派ですね」「すばらしいですね」とは思うけれど、「カッコイイ~」とは思えない。

 田原総一朗が一日のほとんどを費やしている活動にどれだけの価値があるのかは正直わからないが、
 「だって、おもしろいじゃん」と言われると、「やるじゃねぇか、このジジイ」と理屈ぬきで思ってしまう。

 私のように、フリーのライターとしての仕事をしつつ、メルマガやブログ、エッセイや小説を書いたり、
 芝居をやったり、いろいろなイベントに顔出したりしていると、
 どれが仕事で、どれが遊びなのかワケわからなくなってくる。
 
 ときには「いったい、オレは何でこんなことをやってるんだろう・・・」と思うことだってもちろんある。

 まあ、でもそのときは「だって、おもしろいじゃん」と言えるかどうかを考えてみることにしよう。

 意味があっても、なくても、
 お金が儲かっても、儲からなくても、
 誰かに褒められたり、賛同されたり、しても、しなくても、
 「だって、おもしろいじゃん」とサラリと言えるなら、それでいいじゃないか。

 むずかしいことは考えず、とりあえずそう思っておこう。
 まさか、田原総一朗から、そんなことを教えられるとはねぇ・・・