『カシスウー論』 ~サスティナビリティってナンだ!・・・編~
こんにちは イイダテツヤです。
第109回『カシスウー論』は「サスティナビリティってナンだ!・・・編」です。
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ある人のフェイスブックの書き込みを読んでいたら、「サスティナビリティ」という言葉が出てきた。
これはまたむずかしい言葉が出てきたなと思ってさっそく調べてみたら、「持続可能な」とか「持続可能性」みたいな意味で使われているらしい。
ちょっと前に登場し、一時期はブームみたいにもてはやされた「ロハス(LOHAS)」という言葉も、じつは「Lifestyles of Health and Sustainability」の頭文字をとったもの。
健康で、持続可能な生活スタイルというわけだ。
そんなことをいまさら知って、「へぇ、なるほどなぁ~」と感心してしまった。
言葉の意味を知らなかったくせに文句を言うのは完璧に筋違いだけれど、私はどうも「ロハス」とか、「エコ」とか、「地球に優しい」みたいな言葉があまり好きではない。
地球に優しいかどうかなんて、地球に聞いてみなければわからない話だし、「ロハス」や「エコ」と言われてもやはりどうにもピンとこない。
雰囲気ばかりが先行して、何のための活動なのかがいまいちよくわからないのだ。。
でもまあ、しかし、「持続可能かどうかを考えよう」というのは、それなりに腑に落ちる。
サスティナビリティなんて気取った感じで言われると変な抵抗感も覚えるのだが、「持続可能な形にしよう」という発想は理解できるし、その尺度はとても便利なのだと思う。
持続可能なものがすべてマルで、持続不可能なものがすべてバツというわけではないが、ひとつの尺度として「持続可能性」はとても便利に違いない。
いきなりヘンテコな例を出してしまうけれど、たとえば16歳の若いカップルが妊娠してしまった際にも、持続可能性という考え方は有用だ。
オレたちは真剣に愛し合っているんだ。
子どもができたことを、本当に喜んでいるんだ。
などと声高に叫んでみても、その生活が持続可能でなければ意味を成さない。
愛だの、恋だの、命に尊さだの、親の自覚だの、いろいろ言ってみたところで、大事なのは持続可能性なのだ。
仕事や結婚相手を選ぶときも「果たして持続可能だろうか?」と考えてみるのは悪くない。
もの凄い好きでも持続不可能なものはいずれ苦しくなってしまうし、あまり好きでなかったとしても、持続可能性が高そうなら「まあ、それもいいか」と思えるかもしれない。
お見合い結婚が恋愛結婚よりも離婚率が低いのは、一緒になる前に持続可能性をしっかり考えているからだろう。
持続可能性という尺度で、少し先を見通すというのは、なかなか悪くないアプローチだ。
私はフリーでライターという仕事をしているが、私の仕事の持続可能性がどのくらいあるのかを考えてみれば、「何かしらの手を打たなければいかんな」という気持ちにもなる。
同時に、私が属している出版業界も、知り合いがたくさんいる映画業界も、
もう少し持続可能性という尺度で「やるべきこと」を考える必要があるのかもしれない。
何を、どんな形で持続させたいのかを考え、そのために何を、どんなふうに変えなければいけないのかを考える。
たいていの物事は、同じことをしていても同じ状態は維持できないのだから。
本当は「維持するために必要な変化」というものがあるのに、維持したいがために変化を受け入れられないという、奇妙な矛盾が生じているのかもしれない。
昔、何かの舞台を観に行ったとき「変わらないこと、変わり続けること」というセリフがあったけど、その二つはじつはセットになっていて、お互いを補完する関係にあるのかもしれない。
なんだか最後は禅問答みたいになってしまったけれど、サスティナビリティという言葉は、そんなことを考えるきっかけを私にくれた。
まあ、それはそれとして、「サスティナビリティ」なんて難しい言葉を使うのはあんまりよくないよねぇ・・・・
