甲子園応援バスツアー
我が母校千葉県立安房高等学校が、1901年(明治34年)の創部以来108年目にして、
21世紀枠で甲子園初出場となった。
夢のような出来事であり、私にとって最後のチャンスと思え、意を決して応援バスツアーに参加したのである。
スポーツクラブ仲間では、北海道出身のMeguさんが同行を申し出た。
出発地の千葉駅東口NTT前に着くと、「必勝安房高等学校」と張り紙をしたバスが4台も待機していた。
銚子からやって来たというMさんは、これで銚子の人達と対等に話ができる、と笑顔で話し掛けて来た。
(かつて銚子の高校は甲子園へ何度も出場していた。)
お互いに館山出身の卒業生というだけで、気さくに話がはずむのが不思議である。
バスは20時(21日)に出発して、大阪駅に7時頃(22日)到着。
ここで、開会式を見たい人達が下車。離団した人数は半分を超えたであろうか。
私は夜行で眠れなかったこともあり、エキスポランド駐車場での待機組に回った。
11時30分に昼食の弁当が配られるとのことで、私とMeguさんは、隣接の万国博記念公園内の
日本庭園を散策して静かな時を過ごした。
駐車場に戻ったら、館山と東京からの「必勝安房高等学校」のバスも合流して駐車場を占拠していた。
この日の応援バスは50台にものぼったという。
昼食を取っていても自然と交流は生まれるものだ。市川からやって来たAさんとは、お互いに記念写真を
後日交換することになった。 銚子のMさんは、車中で隣り合わせになった五井からやって来たKさん(館山出身)を紹介した。
一緒に幼き頃の館山の思い出話をしていたら、あっという間に甲子園への出発時間になった。
一塁側アルプススタンドは、バス50台の紫軍団で埋め尽くされた。
試合はと言えば、前半は熊本城北高校の村方投手に抑えられ、一生懸命の応援席に落胆のため息がもれる。
後半になって、村方投手は走者が出ると、球がうわずって来た。
どちらが勝ってもおかしくない展開に、応援席は盛り上がった。それにつられて、私はメガホンで手をたたく中に
手が痛くなってしまい、膝を打ち鳴らすようになった。後で分かったのだが、膝にはあざができてしまった。
0-0で迎えた九回表、均衡は破れた。安房は二死一塁から4番鹿嶋が右中間へ三塁打を放ち先制点を上げる。紫軍団は歓喜に湧いた。 私が隣で静かに応援していた紳士に手を差し伸ばすと、紳士はぐっと握り返して来た。
続いて5番佐藤も左前に運び2点目を奪った。スタンドの興奮は最高潮に達する。
今度は紳士が私の身体をポンポンとたたいて来た。
私は斜め後方で観戦しているKさんとMさんにVサインを送った。
気付いたKさんも満面の笑みでVサインを掲げて答えて来た。
九回裏、城北はねばりを見せたが、安房の佐野投手は逃げ切った。
勝利の瞬間、私はMeguさんとハイタッチ、紳士とその友人とは握手、握手。
万歳、万歳!!紫軍団は狂喜乱舞の喜びようである。
球場を出た所で、偶然館山に移住する為に家を作ってもらっている棟梁の家族に出会った。
息子さんとおめでとうございます、と握手を交わしていたら、普段は冷静な棟梁が喜びを爆発させて抱き付いて来た。
球場から浜甲子園駐車場までは20分程歩いた。
城北高校のチアガールに「試合には勝ったが、応援には負けたね」と言ったら「ありがとうございます」と言う。
また、「城北は3度目の出場で馴れているんだろうね、素晴らしい応援だったね」と言ったら、「11年(?)ぶりで
1ヶ月間特訓を受けました」と言う。「それじゃ~指導も良かったんだ」と言ったら「ありがとうございます」と言う。
チアガールの中に指導された若い女の先生が居たのである。
バスは大阪の箕面温泉スパガーデンに寄り、ここで夕食、入浴、休憩を取る。
22時30分に出発。7時頃(23日)に千葉駅東口NTT前に到着。
かくして、沢山の出会いと感動をくれた甲子園応援バスツアーは終わったのである。

