ひっさびっさに、KAZU君とかHIDE君ののブログ見てたら、やっぱ地震の話だねぇ。
(彼らのついては触れないが)僕が生まれたのは1996年。
そう、阪神大震災があった翌年に生まれた。
だから、大きな地震の恐怖というのはしらない。
hide君も言っていたように、その日は丁度僕の中学の卒業式だった。
僕自身は一回目の地震の時は図書館にいた。
急に眠たくなってきたのかな~?という感じに体がゆらゆらと一分間程揺れ続けた。
だがそれは、眠くなったのではなかった。
宮城県沖で起きた、M9.0の地震だったのだ。
家に帰ると母が深刻な顔をして、テレビを見ていた。
そこには、まるで、映画のCGシーンをも連想させる様な光景が映し出されていた。
ついったもTLが鬼のように早く、中には、救助を求めるものもあった。
「お前ら、絶対死ぬなよ、俺はお前らとここ(ついった)で馬鹿話すんのが好きなんだ」
そんな言葉でさえ流れていた。
信じられなかった。
同じ小さな島の上に住んでいるのに、そこに、天国と地獄以上の差があった事が。
でも、もっと信じられない事があった。
次の日だっただろうか、行方不明者数が1万人を超えたと報じられたとき、家の前では、子供たちがまるで地震なんて嘘の様な天真爛漫な姿で公園で遊び、大人たちはいつも通りに行動していたからだった。
僕は、テレビの中とのギャップに絶句し、唖然とした。
母はそれを見てこう言った、「こんなもんや」
そんなことを言われて、僕はすごく世界に矛盾を感じた。
今日なんてもっとそうだった。
今日は卒業証書と新しく買ったパソコンを持って富田林の方のじんさんばあさんの家までいった。
じいさんは庭掃除を終えるとテレビの前にどっかと腰を下ろし、nhkを見出した。
そして、一万人以上の死亡が確定し、三十一万人が避難所生活を送り、何万人ものの人が孤立し、被害の大きかった地域での物資が不足し、22人が被爆し、1000を超える死体が収容されたという事を知った。
その上で、寿司を食いにいったのである。
そこは暖房設備も整い、清潔な水も飲め、新鮮な魚介類がそろっていた。
じいさんは何のとがめもなく、ウニを食いだした。
被災した人たちは、炊き出ししてもらっても、ありつけない人が入る。
蛇口をひねると、錆まじりの水が出てくる人がいる。
暖をとるのに精一杯、暖まる灯油ですら不足している人がいる。
なのに僕らは、ふつーに、飯を食っている。
きっとそこには、罪悪感なんてこれっぽちもないだろう。
おかしくないか?
むこうの人たちは、生きるか死ぬかなんて運次第だという表現さえされる生活を送っている。
僕らは、普段と何ら変わらない生活を送っている。
おかしくないか?
僕らは、おなじ、人であるし、おなじ、島の住民だ。
なのに、ただ、テレビ見て「えらいことやな」って。
おかしくないか?
ただ、ネットの上で「お悔やみ申し上げます」って。
そこで、悔やんでどうする?
そこで悔やんだところで、生きてる人間が一人でもみつかんのか?
おかしくないか?
いや、おかしいだろ。
だが、僕がそう思うのが間違いかもしれない。
僕はただ義務教育を終えただけの、世間知らずの馬鹿だ。
体力も並だし、特にこれといった特技もない。
そんな人間が、あそこ(被災地)にいったところで何になるというんだろうか?
己の無力さが己の身をつんざく
俺は、この事を一生悔やむ。