日本上空からの光景を見たのは、27日〜28日にかけてのことでした。



28日、 朝方、記録をしてから

受け止めは緩やかに...
創造に繋がる意識を留意しながら


魂の中では呼応するべく
具体的なポイント
対策や手段
繋いでおりました。



するとすぐに
ある言葉がありました。



水戸光圀

水戸黄門の


水戸の話じゃ

こう 伝え受けたのです。


の強調と
水戸の強調あり。



水戸光圀
徳川光圀
水戸黄門と桜?



そう抱くと

黄門桜

という言葉が
映像情報を伴い伝えられました。





その映像情報は

沢山の桜を背景に
水戸黄門と思われる方の姿、想いです。





黄門桜って本当にあるの?
本当に水戸黄門と桜が関係しているのか......そう抱きながら



私が繋ぐ目的へのヒントとして
背景の繋がりがあること


当時における人の想い 
( 水戸黄門、水戸光圀の想いや 他 )


また、一連の導きや
根底の仕組みとの繋がりがあることを
瞬間的把握しました。



それでも
実際はどうなのか

毎回ですが
そうなのだろうと抱きながら


本当にそうか?と
全く知らないので確かめました。

水戸光圀
水戸黄門


今まできちんと注目したことはなく
学ばせて頂きました。







徳川 光圀(とくがわ みつくに)は、常陸水戸藩の第2代藩主。「水戸黄門」としても知られる1。 諡号は「義公」、は「子龍」、は「梅里」。また神号は「高譲味道根之命」(たかゆずるうましみちねのみこと)。水戸藩初代藩主・徳川頼房の三男。徳川家康の孫に当たる。儒学を奨励し、彰考館を設けて『大日本史』を編纂し、水戸学の基礎をつくった。


これを読んだ時に 水戸学 という所に 意思が関わっているという直感がありました。
水戸学って何だろうと抱きます。




水戸藩の藩主で 
水戸学の基礎か 




光圀は学問を好み、『大日本史』の編纂を開始し、水戸藩に尊王の気風を植え付けた。水戸藩で生まれた水戸学幕末尊皇攘夷運動に強い影響を与えた。


尊皇攘夷の話に繋がるのかと認識が強まる中、学ばせて頂きました。



そして、
黄門桜 
実在しました。


( 匝瑳市 より、有難う御座います)



( 有難う御座います)


水戸光圀が 飯高寺へ訪れた記念として

佐原から、 松、桜を街道に植えた内の一本が現存しているということ。 



飯高檀林




日蓮宗、僧侶の学びの館だった 飯高寺。


徳川家の外護を受け発展したとのことからも、 熱心に学ぶ人々へ労いの言葉をかけ、発展を喜んでいたのかもしれません。




その来訪が、飯高寺の方々、檀林の方々の心に響くものがあったからこそ、記念して 佐原からの街道に松と桜を植えたと感じました。





その並木道の 一本。 

今は一本を残すのみ。 





貴重な姿。桜の生命が伝えるもの。

あると思います。関わった様々、想いも。









大日本史の編纂や水戸学の基礎づくりを行った光圀だからこそ



学問に対する思い入れ というものや 
深く強い想いがあったのではと感じますね。




そして、

ここに来て


大和魂

という念押しを受けたのです。




尊皇攘夷のみに絞った想いや姿ではなく


神への繋がり
神との姿

神ととけあう大和魂 


水戸学の基礎を作った水戸光圀に
その湧き上がりの中に 

神の導き、采配があり 

水戸光圀は大和魂を表し
導いたという
その歴史の流れがあったのかと
抱きました。





日本上空からの光景を見た直後の繋ぎ 
導き 

具体的なポイントは



大和魂 

水戸光圀
水戸の話 




だったという体験



そうかと受け止めた日の夜 

茨城で大きな地震
がありました。





水戸藩がおさめていたエリア




いいか
そういうことだぞ 
と言われているかのようにも感じ


また 


あの日本上空からの光景

発現を見た体験からの
対策として 


水戸藩 
水戸学
大和魂 



関東の鎮護
繋がりを感じていたのです。





そして
年末の様々、家族との日々を過ごす中
次の日の29日〜30日にかけての魂体験にて 


幾つかの神社
そして

ある名前を告げられたのです。


この名前、私は、知識が乏しく申し訳なかったのですが







八方世界から十方世界の話、体験時に 告げられた名前と関係し


また、その名前については、随分前から縁ある方から聞いておりまして、ようやく、あ!そういうことだったのかと繋がったのです。




また、 その名前を告げる意味には 

そういった
その名を担う方、方々への采配

また
全ての人々 日本の人々 への采配があり


私達の意識の中での 開眼や 
共有可能な意識エネルギー


次の時代への足がかりとなる
一人ひとりの魂の中で 




その存在を確立して欲しい




そういった 託す エネルギーを感じるものだったのです。





続)