文字数超過  となるため  
部分抜粋  転載も   継続、分割させて頂きたいと思いますm(_ _)m



続↓


この体験に至るまで   
経緯がありました。


1番はじめは、2年半位前。


鏡の持ち方というものを  


あの古墳の諭しに続く一貫した教え   の中で習いました。





シュメール語も読めるように  とか。 



調べ方や学び方もわからず、辞書が有るのかな  わかんないよ  って、思いながら

そうか、こう持つのね、持ち方があるのね
と体験しました。


空に向けて太陽を映す事に意味があって、??どう持ち   傾けるか そのような話。


でも、本当は、見たり触ったりしたらいけないんでしょ?駄目じゃない   出来るわけないよ。そう言いました。


でも、


持てば解るから
とにかく持ってみると良い  


そう言うのです。



それは無い、あり得ない  そう考え、スルーしていました。


必要ならば、また、伝えてくるのでは   
と感じながら、私の中では 朧げに 抱く 諭しのひとつでした。



そして、あの徳子様と静御前の諭し。
沖津鏡の諭し。


その時の  地面に置かれた 水面のような鏡が印象的でした。空や他を映して綺麗だったからです。


あれは  中津鏡だと言っていた  
その言葉。






その後、家であることが起きました。
些細な出来事です。


鏡が床に落ちて、  天を向き照らす鏡  となりました。


触っていない 離れた洗面所 


落ちてもすぐ直しに行けず、目の端に 眩しく反射する     を感じながら放置して台所作業をしていました  。  


しばらく、何度かチラッとチラッと見ていて、

あれ?あのパラレル  徳子様  静御前の光景の鏡  を思い出すなぁ  あれも、こんな風に地面に置いていたな   と。


そう感じた瞬間


日常の作業をしながらも周波数は一気に魂の世界と繋がり、


フラッシュバックするようなビジョンが頭の中に流れて体験し始めます。




あまてらす   


その言霊も響きます。


そうか、あまてらすは、   

地から天を照らす意味    もあるんだ   



そう  スパークするように意識に繋がりました。



あまてらす    



意味は、この鏡の場合、
ふたつあるのだと。




からを照らす   あまてらす

からを照らす   あまてらす



このふたつがひとつになること
それが   あまてらす  の 言霊



続)