鍬とる百性が己をわすれ、大地をわすれ、鍬をわすれている境地が、まことのみたましづめであり、神かかりであるぞ。

そこらでなさる行も、それに到る一つの道ではあるが、それのみではならんぞ。
気つけ合ってよきに進んで下されよ。そなたが歩むのぢゃ。

道は自分で歩まねばならんぞ。他人におんぶしたり、他人が歩かしてくれるのではないぞ。


そなたの力で、そなた自身の苦労で人を助けねばならんぞ。

人を助ければその人は神が助けるのであるぞ。

この道理なぜに判らんのぢゃ。人を助けずに我を助けてくれと申しても、それは無理と申すもの。神にも道はまげられんぞ。


何も六ヶ敷いこと申すのではない。自分の、内の自分を洗濯して明らかに磨けばよいのぢゃ。内にあるものを浄化すれば、外から近づくものがかわって来る道理。

内の自分を洗濯せずにいて、汚いものが近づくとか、世の中が暗いとか不平申して御座るなれど、そこにそなたの間違いがあるぞ。


木でも草でも中から大きくなって行くのぢゃ。


三千年に一度の時がめぐり来ているのであるぞ。


為せば成る時が来てゐるのぢゃ。


為さねば後悔ぞ。


時すぎて種まいても、くたびれもうけ。

そなたは世の中が悪いとか人がよくないとか申しているが、すべては大神の肚の中にいて、


一応 大神が許しなされて居ればこそ存在し、


いのちしているのであるぞ。

悪く映るのは心の鏡が曇っているからぞ。

悪い世の中、悪い人と申すことは、神を悪く申し、神界が悪いのぢゃと申すのと同じであるぞ。


新しき世界には新しき【てんし(天詞)てんか】をこしらえねばならん。

このこと間違えるでないぞ。

珍らしき御型(方)が出て来てびっくりぢゃ。


びっくりしなければヒックリとはならんぞ。

神は今迄 化けに化けていたが、もう化けては居られん。人民ももう化けては居られんぞ。

九分九厘までは化けて、がまんしていたなれど、化けの世、方便の世、方便の教えは済んだのぢゃ。

教えでは世は正されん。教のつどいは潰れて了うのぢゃ

無理してはならん。
そなたの無理押しは よいことを悪く曲げるぞ。



第五十一帖

世界を一つにするのであるから、王は一人ぢゃ。

動きは二つとなるなれど、二つでないとうごかんのぢゃ。

キはキのうごき、

ミはミのうごき、

動いて和すのぢゃぞ。


和すから弥栄ぢゃ。

和せば一つぢゃぞ。

キミとなるのぢゃ。

そなたは自分と他との境界をつくっているなれど、境界つくってはならんぞ。

境界をつくらずに、おのづからなる自他の別を生み出さねばならんぞ。


世界一家のやり方 間違えて御座るぞ。


それぞれのコト言の葉はあれど、ミコトは一つと申して知らしてあろうがな。



大難は小難にすること出来るのであるが、無くすることは出来んぞ。



不足は不足をうむぞ。そなたは口をつつしめよ。そなたは一度 神を捨てよ。

神にしがみついているから、小さい囚われた、ゆとりのない神を、そなたがつくり上げているぞ。


信ずれば信ずる程 危ないぞ。大空に向って大きく呼吸し、今迄の神を捨てて心の洗濯をせよ。

神を信じつつ迷信におちていると申してあること、よく心得よ。


第五十二帖

そなたはつまらんことにいつも心を残すから つまらんことが出てくるのであるぞ。

心を残すと云うことは、霊界とのつながりがあることぞ。

つまらん霊界にいつ迄くっついているのぢゃ。


何ごとも清めて下されよ。
清めるとは和すことであるぞ。

同じもの同士では和ではない。違ったものが和すことによって新しきものを生むのであるぞ。

奇数と偶数を合せて、新しき奇数を生み出すのであるぞ。

それがまことの和であり清めであるぞ。

善は悪と、陰は陽と和すことぢゃ。

和すには同じあり方で、例えば五と五との立場で和すのであるが、位に於ては陽が中心であり、陰が外でなければならん。


天が主であり地が従でなければならん。

男が上で女が下ぢゃ、これが和の正しきあり方ぞ。

さかさまならんぞ。これを公平と申すぞ。

口先ばかりでよいことを申すと悪くなるのなるのぢゃ。

心と行が伴はねばならん。
判りきったこの道理が行われないのは、そなたをとり巻く霊の世界に幽界の力が強いからぢゃ。

そなたの心の大半を幽界的なもので占めているからぞ。

己自身のいくさ まだまだと申してあろうがな。

このいくさ中々ぢゃが、正しく和して早う弥栄結構ぞ。

そなたのもつ悪いくせを治して下されよ。そのくせ治すことが御神業ぞ。

自分で世界を建直すような大きこと申して御座るが、そなたのくせを治すことが最も大切な御用でないか。

これに気がつかねば落第ぞ。おそれてはならん。おそれ生むからぞ。喜べ、喜べ、喜べばよろこび生むぞ。
喜びは神ぢゃ。

神様御自身も刻々弥栄して御座るぞ。

故にこそ生長なされるのぢゃ。人間も同様でなくてはならん。


昨日の自分であってはならん。今の自分ぞ。中今のわれに生きねばならん。

われにどんな力があったとて、我を出してはならんぞ。我を出すと力なくなるぞ。

我を、大き我に昇華させよ。大我に融け入らねばならん。大我に融け入ったとて、小我がなくなるのではないぞ。

人おろがめよ。物おろがめよ。

おろがむと自分の喜びとなり、拝まれたものも喜びとなるぞ。うれしうれしとはそのことぞ。