5月26日の朝方に伝えられたものです。


太く立派な木が見えていました。


幹か、よく解らないのですが、途中、縄…注連縄…のようにも感じる縄が巻かれているような木です。

それを斧で切る…と言いましても、雑にガツンガツンと切るのではなく、丁寧に斧をあてていく、そしてその部分が次第に細く逆三角形になり倒す…手順。


確かに古い何かを支えていたようなその木が、役目を終えたという意味か、見ていると次第に何故か切なくなる感覚でした。


その様子を見ながら、木が倒れてしまう事に悲しさや困惑があり、「どうしよう…倒れちゃう…」と、焦り口にしました。


すると、諭す声がしたのです。


【大丈夫だ、もう既に新しい《宮柱》が出来ているだろう?新しい宮柱が。

わかるだろう?新しい宮柱が既にあること。

だから大丈夫。

そして、見えるか?松が。
ほら、すぐそこに、~に見えているだろうか?あるだろう、松が】



と。

私は、宮柱という単語を気にしながら、言われた先を見るには、視点を随分と上に合わせなければなりませんでした。


高い場所に松が見えていました。


私は、ほんとだ、松がある、随分上に見えるものだな…と思いながら、とにかく高い宮柱を辿って見上げた場所に届くように濃い緑色の松の木も伸びていました。


新しい宮柱。

松。


これを見た時、「式年遷宮」と「松の世」というイメージがありました。


出雲大社の式年遷宮のイメージです。


新しい宮柱。

松の世。


そういった何かを伝えたい様子でした。



見える世界、見えない世界、繋がる全ての世界において、そういった変化の時、新しい時が訪れる…、訪れているという示唆ではないかと感じていました。



全てへの愛を込めて。


有難うございました。