古関裕而の歌 その3 フランチェスカの鐘 | 歌謡曲と叙情歌を語る

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きょうは二葉あき子さんの「フランチェスカの鐘」。1948年(昭和23年)の歌で、作詞が菊田一夫さん、作曲jが古関裕而さん。曲名のフランチェスカとはイタリア語圏の女性名、日本でいえば花子さんとかそんな感じでしょう。

 

二葉あき子さんは広島のご出身です。1915年生まれ。東京音楽学校を卒業後、教師を経てプロになりました。紅白歌合戦も第一回から出場され、2011年に亡くなられております。戦前~戦後まもないころまではソプラノでしたが、1955年前後に高音が出なくなり自殺まで考えたそうです。その後、作曲家の服部良一さんに「高音だけが歌じゃない」と励まされ、アルトで歌うようになったといいます。彼女にとって高音が出なくなったことが許せなかったし、苦しかったと思います。それを「高音だけが歌じゃない」って言いきった服部良一さんはかっこいいなって。いまYouTubeでも、二葉さんのソプラノ時代とアルト時代の両方の歌声を聴くことができます。

 

僕が二葉さんが歌っているのをテレビでみたのは最晩年でもう80代をゆうに超えていましたが、年齢を感じさせない素晴らしい歌声でした。また、ご本人も本当に楽しそうに歌っていたのも印象的でした。その時歌ったのは、「さよならルンバ」という別の歌でしたが。様々な苦難を乗り越え、悟りを開いたような良い表情で二葉さんは歌われてました。

 

二葉さんは広島生まれで平和にたいする思いがありました。1945年の8月6日、帰郷のため乗った汽車でトンネル内を走行中、原爆が投下されました。二葉さんは幸いトンネルの中だったので直接の被害は免れたのです。自分は九死に一生を得たものの、親戚や友人が多くなくなりました。一人生き残ったことに後ろめたさを感じた二葉さんは、自分に何ができるかを考えました。それは原爆で命を失った人日のと魂を歌で鎮めることでした。

 

彼女は原爆の犠牲者への鎮魂の心を生涯にわたって歌い続けました。その彼女がもっとも大切にした歌が「フランチェスカの鐘」です。彼女はこの歌を原爆の犠牲者にささげるつもりで、この歌を歌い続けたといいます。歌詞には原爆を連想するようなフレーズはなく、恋に破れた女性の歌のように感じらます。けれど、そのバイバイした男性が単純に別れたって話ではなく、原爆で亡くなった人だと解釈すると、本当に悲しい歌です。古関さんが作られたもの悲しいメロディーラインも悲しさを引き立てます。

 

最後に二葉あき子さんの至言をご紹介します。

 

この悲しみを忘れてはいけない。たくさんの方が亡くなっていらっしゃる。

私は生き延びたんだから、命りある限り歌っていきたいと思います。

 

 

https://www.uta-net.com/movie/43613/(クリックすると歌詞が出てきます)