前回からの続き
妹宅のお庭の草取りを
仕事のオフの日に
取り組んでおりますが…
この炎天下
数時間の作業ではなかなか捗らず…
若き頃、
アスリート並みのスポーツウーマンだった
妹はスポーツ中に右足の靭帯を断裂
高位脛骨骨切り術&前十字靱帯再建術の
W手術を受け今は日常生活には支障はない
のですが、膝を折り曲げる作業は困難
見るに見かね、さらに
懇願されてのお手伝い(^O^)
まずは準備

今日はこの辺りからスタート

地面に埋め込まれたこれは?

雨水の溜め桝のようですが…
土で埋まってる

鉄製の蓋が重くてなかなか開かない

やっと開けたけど、もはや溜め桝ではない(´;ω;`)

土の重さにスコップが曲がった!
これはお手上げ!
ここだけで30分以上時間を費やし(泣)
着付け教室の生徒さん方が
清々しい気持ちで
門から入ってこられますようにと
せっせと2時間!


まだまだ先が見えない草取りですが
きれいになる意味…?
ふと 草取りをしながら
いつか読んだ文章が…
気になって調べたらありました!
ご興味のある方はどうぞ↓
七月になった。
あちこちの団地の自治会館では、恒例の
草取りが始まったことであろう。
ある日曜日の朝、町内いっせいに出動して、
道ばたや小さな公園の草を抜く。昼近く、
抜いた草の山はポリ袋に詰めて、ごみ
収集場に積まれ、人々はごくろうさまと
いって帰っていく。毎年の夏の初め、
日本のどこの町でも見られる光景である。
何のために草を抜くか?
町をきれいにするためである。
それはわかる。昔から、
やえむぐら茂れるやどの淋しさに、
というような歌がある通り、
草が生い茂っているのは
淋しく恥ずかしいことなのだ。
けれどもう三十年も前になるだろうか、
ぼくは「草取りの思想」という一文を
書いたことがある。
人間が自然に手を加えて、
家やコンクリートの団地や
道路で固めた中に、
それでもけなげに生えてきて、
小さな花を咲かせている草を、
何で根こそぎみな抜き取ってしまうのか?
草の花にはどこかでやっと育ってきた
小さなチョウが無心に訪れて、
みつを吸っており、草の葉の上には
かわいらしいテントウムシがちょこちょこ
歩いている。町じゅう総出の草取りは、
草もろともこういう虫たちも一網打尽に
してしまう。そして草取りを終えて人々は
「近ごろは自然がなくなりましたねえ」
などといいながら、家へ帰っていくのである。
「草取りの思想」の中でぼくが
言いたかったのは、こんなことであった。
それから約三十年、
草取りはいまだにおこなわれている。
何かといえば環境、環境、環境にやさしく、
と言われるようになった昨今に
至ってもである。
町をきれいにするのはもちろん結構なことで
ある。だれだって汚い町に住みたくない。
けれど「きれい」とはどういうことだろうか?
たとえば、「きれい」なものの一つに
芝生がある。この雨の多い日本で、
乾燥地に生える芝を美しく
保つにはたいへんな手間が要る。
田畑に作物や野菜の良く育つ日本では、
草もよく生え、よく伸びる。
芝生にもすぐいろいろな草の種子が
飛んできて生え、花を咲かす。
彦根の町なかにある学長校舎の庭の
芝生でも同じことだ。ぼくは芝生の手入れを
あえて断って、草が生えるに任せておき、
あまり大きな草だけを抜くことに
している、すると、芝生には、
じつにさまざまな可憐な草が生え、
小さな可愛い花を咲かせる。
ネジバナ、スズメノテッポウ、ハハコグサ
その他その他。しかも年とともに草の
種類も数も変わっていくのである。今年は
美しいネジバナのピンクの花が去年より
ずっと増えた。
それは自然の移り変わりであり、
それを眺めるのはぼくにはとても
心和むことである。
いわば外来の芝生の中でたくましく
小さな花を咲かせているこれらの草の
大部分は、昔から日本に生えていたものだ。
これらの草たちと、緑一色でチョウも
テントウムシもこない芝生と、
どちらが「きれい」なのだろうか?
日高敏隆「『きれい』の意味」
「動物たちはぼくの先生」青土社