実業団に所属して
柔道を続ける道はなくなっていた

実業団には
大学3年生の成績や、
大学3年生の時点で
声がかかり決まるのが
世の常と朝から教えて頂いた。

レスリングから柔道に戻った高校2年生の編入
お金もなく、
公立高校にしか入れてあげれず
柔道部のない高校に入り
柔道部を作って頂き
家族で練習に励み
出稽古に行かせて頂き頑張ってきた。

たまたま創志学園さんへ出稽古に行かせて頂き
古賀さんに出会った。

谷本歩選手のセコンドにおられた記憶しかなく
当時は谷本歩選手が大好きだったので
コーチという印象だったが

環太平洋大学の総監督
練習前に
打ち込みをお願いした。
5回ほど受けて頂き
私が柔道界や
古賀先生を分かっていないから
空気読めずお願いしたのだが😅

さすがは古賀先生‼️
すぐに打ち込みを受けてくださり
5回ほどの打ち込みで

すぐに監督室に呼ばれ
すぐに大学が決まった。

次の日の朝には
たにぐち家のレスリング場を
柔道場に変えましょう‼️と

古賀塾の畳を
前田畳さんのお力添えで
送って頂き
柔道を作って頂いた
たにぐち家の柔道、打ち込みの
今がある

その古賀さんは
たにぐち家の神棚、
たにぐち家の柔道場の写真でしか
毎日顔を合わせられなくなった
でも毎日挨拶して
顔も手も合わせられている
幸せな話だと信じたい。

やっと大学4年生最後に
日本1になったが
実業団に入るには遅かった。
これが柔道、スポーツの世界なんだろう。

17年前
斉藤仁先生に出会い
いっちゃんやたつると
同じ幼稚園で柔道を始められた

ミキハウスに所属し
東部選手、武岡選手、瀧川選手、など
泉谷先生のもと一緒に活躍した選手は
今も大学で活躍している

たにぐち由夏は
先を考えて中学からレスリングを始めた
世界で活躍するには
釣手引き手だけではない時代がくると
(当時は足取りもあったから^_^)
それでもあらゆる全国大会で優勝し
クリッパンの世界大会でも優勝し
インターハイ1年生で準優勝
東京オリンピックターゲットエイジを
捨てて柔道に間に合わないから
高校2年生からチャレンジした
7年

1年足りなかった
コロナも重なり失敗したのだ

私が高校から柔道に戻しておけばは
過去のこと
当時はレスリングアメリカ代表から
出場しないかの
声もあったのだ

朝から
実業団の道は断たれた覚悟を決める
責任が僕には芽生えた

続く

たにぐち家子供達を応援宜しくお願いします🙇‍♂️
たにぐち家
女子柔道28歳まではやり続けられると
信じています。
多分、私のトレーニングや食事、考え方なら
31歳でも大丈夫だと思いますが
結婚なども考えたら
そのラインまではやれる環境を作りたい