出来た/出来ない
つまりは
成功するor成功しない
この意識の分野を分かりやすくみていくと
たにぐち家の子育て論として
以下の4つに分けて伝えている
①無意識による不能
つまり、
"自分が何か?"を知らないのかも
分かっていない。"
②この段階に移ると、
"何が自分にとって難しいのかを痛感する"
つまり『意識による不能』
③この段階で何とか出来るようになるが
まだ実行するのが大変で、意識的な思考や時に意志の力にも頼らなければならない段階
④やっとこの段階で、難しかったことが自動的にできるようになる
こんなステップの段階で
出来るに到達していく意識、
無意識の作用を知っていたら
指導する側も指導される側も、
親も子供も基準があって
共感して歩めるというものだが、
「もうちょっとやから、やってみろ!」
「全然分かってないな」では
指導になっていないし
自分がどこにいるのかが分からないから
続けられず、習得出来ないで自己防衛規制や
自己の限界のセルフイメージに
やられてしまう。
例えば、子供は練習でも勉強でも
山登りで例えると
登ったり下ったり、グネグネ回ったりと
本当に頂上に向かって進めているのか
登っているのか
頂上に近づいているのかは
本人というのは分からない
ただもうちょい、もうちょい
頑張れ!頑張れではもたないのだ
一方ではたから見ると
麓から登山者の様子を見ると
着実に登っていることはわかる
親も子もそうだが
選手コーチもそうだが
子供というのは
誰でも才能を持っているのに
殆どの子どもや選手は
その才能に目覚めて
解き放たれ
勢いづき
利用できるのを待っている
で終わり、
やらない
出来ない
やらない
小成功すら体験せず
浮遊物になっていくような子育てや育成では
無念以外にない
とまぁ、昨晩も子供達に話を伝えた
つまりは
成功するor成功しない
この意識の分野を分かりやすくみていくと
たにぐち家の子育て論として
以下の4つに分けて伝えている
①無意識による不能
つまり、
"自分が何か?"を知らないのかも
分かっていない。"
②この段階に移ると、
"何が自分にとって難しいのかを痛感する"
つまり『意識による不能』
③この段階で何とか出来るようになるが
まだ実行するのが大変で、意識的な思考や時に意志の力にも頼らなければならない段階
④やっとこの段階で、難しかったことが自動的にできるようになる
こんなステップの段階で
出来るに到達していく意識、
無意識の作用を知っていたら
指導する側も指導される側も、
親も子供も基準があって
共感して歩めるというものだが、
「もうちょっとやから、やってみろ!」
「全然分かってないな」では
指導になっていないし
自分がどこにいるのかが分からないから
続けられず、習得出来ないで自己防衛規制や
自己の限界のセルフイメージに
やられてしまう。
例えば、子供は練習でも勉強でも
山登りで例えると
登ったり下ったり、グネグネ回ったりと
本当に頂上に向かって進めているのか
登っているのか
頂上に近づいているのかは
本人というのは分からない
ただもうちょい、もうちょい
頑張れ!頑張れではもたないのだ
一方ではたから見ると
麓から登山者の様子を見ると
着実に登っていることはわかる
親も子もそうだが
選手コーチもそうだが
子供というのは
誰でも才能を持っているのに
殆どの子どもや選手は
その才能に目覚めて
解き放たれ
勢いづき
利用できるのを待っている
で終わり、
やらない
出来ない
やらない
小成功すら体験せず
浮遊物になっていくような子育てや育成では
無念以外にない
とまぁ、昨晩も子供達に話を伝えた
