14年前、新しい家に引っ越して元々設置してあるストーブの他にもう1台のストーブを購入しました。

反射式ストーブです。

東北に住んでいるので冬はストーブ1台だけでは寒すぎるし、上にやかんを置いて加湿器代わりになるし、お湯を沸かしたりできるので購入しました。

最初、主人はファンヒーターの方が良かったと言っていましたが私は結構気に入って使っていました。ある日、母が孫達に会いに来ました。6才の息子と9ヶ月の娘と一緒にお昼を食べたり遊んだりして過ごしていました。たくさん遊んで満足したようで寝てしまった娘を寝室に連れて行き寝かせて茶の間に戻りテレビを見ていました。

そんな中で起きた東日本大震災。

最初は2日前にも地震があったからその余震かな。

くらいにしか思っていなかったのですが大きな揺れと長い揺れを感じこれはまずいと思い、母と息子に外に逃げるよう伝え母は長男を連れて外へ、私は急いで寝室で寝ている娘のところへ行き毛布でくるみ抱きしめてとにかく急いで玄関へ走りました。

娘を抱っこしていたため足元が見えず靴を履く余裕すらないと思いとっさに裸足で外に飛び出して、地べたに座りひたすら揺れが収まるのを待ちました。外は雪が降り始め寒さがこたえました。長く激しい揺れで停電になりました。数えきれないほどの余震が続き、ずっと揺れている感覚でした。

その日の夜、反射式ストーブの明かりだけで何とかみんなご飯を食べて、反射式ストーブのある茶の間に布団を持ってきてみんなで寝ました。ひっきりなしに起こる余震に神経質になるほどでした。

次の日、父と母がガソリンもあまり手に入らない中、私達を心配して来てくれました。

そして1枚の新聞を渡されました。

そこに載っていたのは津波によって壊滅状態で変わり果てた沿岸の写真と、たくさんの方々の大切な命が奪われしまったことが書いてありました。

地震直後にライフラインがストップしてしまい携帯はありましたが充電ができない中、余震が頻繁にありその度にアラームがなったりして急速に電池が減り使える状況になく、地震後に沿岸で大変なことになっていることを知らずにいたのです。

子供達の顔を見て泣きました。

『生きていることがどんなに幸せなことなのか』と。

長女を抱きしめて、そばにいた長男に『生きていることに感謝しないといけないよ』と泣きながら言い聞かせました。

水も出ない電気もつかないライフラインがストップしていつ復旧するか分からない、ガソリンスタンドには数キロにおよぶ長者の列、でも少ししか入れれない。お店に行っても棚に商品がない、物も手に入りずらい状況で、これからどうやって生きていったらいいのか漠然とした不安が押し寄せてきて途方に暮れてしまいました。

日に日に増えていく犠牲になられた方を思うと涙が出る日々が続きました。

とめどなく涙が出るんです。悲しくて悲しくてたまらないのです。

そして、今起こっている出来事が頭の中と心の中で理解できない整理できないまま、また次の日がやってきました。

それでも自分は食べなくてもいいから娘には栄養あるものとミルク飲ませてオムツを替えてあげないと。

息子にはしっかり栄養あるものを食べさせてちゃんと寝れる環境にしてあげないといけない。

泣いていられない!私は母親だ!しっかりしろ!

と自分に言い聞かせ、元の生活に戻るまで何とかやっていきました。

一週間後、電気が付いたときは家族みんな喜びました。灯りのある生活は心も温まることを知りました。

10日後、蛇口をひねったときに水が出てくるありがたみを知りました。

当たり前は当たり前じゃないんだと。

あれあら13年が経ち当時のことを思うとやはり今でも悲しい気持ちになります。

そしてあのときあって良かったもの、無くて困ったものを思い出しながらまたいつ起こるか分からない災害に備えています。買い占めをするのではなく日々の必要な生活用品をプラスもう1つを購入してトイレットペーパーやシャンプー、リンス、石鹸、ハンドソープ、衣類用洗濯洗剤、お掃除用洗剤や日持ちする食品や水などを揃えています。無くて困ることがあっても、あって困るものではないので。

3年前にはあのとき無くて困ったソーラー充電できるモバイルバッテリーと水を入れるタンクと充電できるライトなども購入しました。

そして、あのときあって良かったを通り越してあって本当に助かったのはやはり反射式ストーブでした。3月とはいえ雪が降り寒かった中で暖かい部屋で過ごせて身体を温め暖かい物を食べれて暖かい物を飲んだりできたのは反射式ストーブがあったからです。

主人も反射式ストーブ買ってて良かった。としみじみ語っています。

そして13年経った今でも反射式ストーブは現役で私達家族を温めてくれています。