ちょうど先週の金曜日に 

入院前に本の差し入れをしてくれた

明菜(仮名)が僕の様子を見に来てくれた。

13時に最寄りの駅で待ち合わせをし、

せっかくなので昼ご飯を一緒に食べようと

ゆっくりできる場所を2人で探したが、

昼時はどこも混んでいた。

そこで明菜(仮名)には大変申し訳ないが 

色気もへったくれもないけど

長時間居座れる場所、ガスト(笑)があった。

困った時はファミレスに限る!(笑)


店内に入って僕は予想以上に

息が上がって呼吸を整えてると

「大丈夫?」 と言いながら

明菜(仮名)はドリンクバーから

水を持って来てくれた。


そして「はい、コレ」

明菜(仮名)は常にクールで、

女性にしては声のトーンが低い。

僕が好きなコーヒーと

ちょっとしたツマミをお見舞いに

持って来てくれた。


それと明菜(仮名)と仲の良い 

今日子(仮名)と俊彦(仮名)夫婦から

御守りと、御守りを入れておく為の手作りの袋を

預かって、持って来てくれたのだ。

本当にありがたい思いでいっぱいだった。



このコーヒーは以前、明菜(仮名)に頂いて

それ以来コレにしてます。香りが良いのです。


横浜最古の弘明寺でお参りしてくれた

今日子(仮名)と俊彦(仮名)  

わざわざ手作りの袋まで… 

オマケに浜ちゃんの顔?(笑) まで… 




結局、僕と明菜(仮名)は

夕方の17時過ぎまで色々な事を話した。

手術の時の事、入院中の事、

痛みや息苦しい話、今後の事、

それから明菜(仮名)の仕事の悩みや

色々な事を語り合った。低いトーンで。


明菜(仮名)と僕は、

小学4年生で同じクラスだった。

もう44年も前の話になる。

そして中学も同じだったが

高校から別になってしまった。

それ以降は噂は聞いていたが

顔は合わせていなかった。


僕は中学の時、中森明菜の大ファンだった。

そして中学生の明菜(仮名)は

タイプ的に小泉今日子ではなく

松田聖子でもない。

僕の中ではまさに明菜(仮名)は

中森明菜そのものだった。


そして今から6年前の48歳の時

小さな同窓会(たまたま連絡が取れた人のみ)

を小学4年の同級生の誰かが企画してくれて、

明菜(仮名)と中学生以来、

なんと33年ぶりに再会したのである。





僕が大病になり、

こうして電車を乗り継いで

わざわざ会いに来て、励ましてくれる。

本当にありがたい事だ。

もし明菜(仮名)が同じように病気になった時や

一人で大変な思いや辛い時があったり、

僕なんかで支えてあげれるような事が

もしできるのなら、

真っ先に行ってあげようと思う… 








僕が小学校4年生のある日

女の子の転校生が

先生と一緒に教室に入って来た。

今まで見た事がない、この地域にはいない

綺麗な女の子だったし、輝いて見えた。 

たぶん、クラスのみんな男子も女子も、

その綺麗さに唖然としていた記憶がある。

僕は今だにその場面が

スローモーションのように

頭に焼き付いていて

その時の事を鮮明に覚えている。


その転校生の子は

この明菜(仮名)である。


 

何を隠そう、明菜(仮名)は

実は僕の初恋の人なのだ…  


そして33年ぶりの

48歳で再会をした時まで

明菜(仮名)は、

僕が当時そんな想いを抱いていた事なんて

「全く知らなかったよ」

その時も低いトーンで言ってたっけ(笑)