2011 05 19(木)
久し振りに芸術観賞のため東京は上野公園へ・・・。
毎年この時期に東京都美術館で開催していた「旺玄展」が都美術館の改築のため、今年は上野の森美術館に会場を移して開かれました。
旺玄会の会員による沢山の名画が会場所狭しと展示されています。
今年の展示は会場の都合で大きな作品の展示は禁止なのとか・・・手頃な作品が見られました。

理事の先生と雑談を交わしながら、会員の素晴らしい力作労作を500点ほどじっくりと観賞。
全部見終わる頃には、ベンチに座り込む人達も・・・いつもの事ながら美術観賞は体力勝負ですね。
「上野の森美術館」を出て上野公園の木陰を散策。
林の中に“寛永寺 上野大仏”なる看板を発見!!
鎌倉や奈良の大仏は知っていますが、上野公園の寛永寺に上野大仏があるなんて・・・聞いたことも見たこともありません、早速石階段を上って見学です。
20段ほどの石段を上った先に見えたのはパゴダ風な建物で通称“大仏パゴダ”。
軒先には「本尊 薬師如来」の文字。鉄筋コンクリート造りの薬師堂です。
装飾物が全く無いパゴダ内の正面に安置されていたのは万病に霊験がある薬師如来像と月光・日光菩薩の脇侍仏。

読者皆様の無病息災を祈念いたします。
境内の左側に進むと絵馬掛けと大きな青い顔面。
受験に効能があると云う“合格大仏”(胴体がないので落ちることがない。)。 この大きな面が上野大仏なのでしょうか?

絵馬もご覧の通り上野大仏絵馬。 裏面には心願成就・無病息災の印字。

大きな青銅面の傍に置かれていた写真が在りし日の“上野大仏”なのです。(高さ7m)
寛永8年(1631年)この地に戦乱で亡くなった人々の冥福を祈るため越後村上藩主・堀直寄によって粘土・漆喰製で建てられ(5m)、明暦・万治の頃(1655~60年)に木食僧の浄雲師により銅製に改鋳、天保12年(1841年)火災で焼失、天保14年に大仏を新鋳、安政大地震でも首崩落・改修。
大正12年(1923年)の関東大震災で大仏頭部が崩落し、顔以外の青銅部材は太平洋戦争で供出されるという数奇な運命を辿りました。
大仏再建の願いを込めて昭和47年から青銅製の尊顔だけを祀っているのだとか・・・早期の再建を祈ります。
春の上野公園ではそこかしこに音楽の響きがコダマしていました。
南米系のラテンリズムやフォルクロ-レなど賑やかです。

散策中に立ち入り禁止の墓所を発見・・・。
立て看板には「天海僧正毛髪塔」。
天海僧正は徳川家康・秀忠・家光三代に亘って影響力を及ぼした天台僧。
日光造営や上野寛永寺を創建し108歳まで生き永らえたと言う怪僧・天海僧正の毛髪を納めた供養塔です。

東日本大震災地震の影響で危険につき立ち入り禁止になっていました。
次に通りかかった場所に建っていたのが“彰義隊の墓”。
慶応4年(1868年)徳川幕府を支持する武士団(彰義隊)と官軍が上野の山で戦い、僅か半日で彰義隊は壊滅しました。(上野戦争)
戦死者の霊を祀るため、生き残った小川興郷ら隊士は明治7年に新政府の許可を得て、激戦のこの地に“彰義隊の墓”を建てたのです。

彰義隊墓の表面「戦死の墓」は旧幕臣の山岡鉄舟の筆になる文字が刻まれています。
上野駅方面に向かうと見えて来るのが、お馴染みの西郷隆盛の銅像。
製作者は高村光雲、明治31年(1898年)序幕した身長370cmの青銅像。
愛犬の名は「ツン」。銅像では雄犬になっていますが、実際は雌の薩摩犬とのこと。

犬の製作者は高村光雲では無くて彫刻家の後藤貞行氏。
西郷隆盛の妻が「全く似ていない」と言った銅像ですが、上野の森の象徴に相応しいモニュメントですね。
春うらら、お上りさんを決め込んで上野公園の知られざる名所を散策した半日でした。
2011 06 14(火) 前橋市 薄 最高気温27.2℃
おまけコーナー。
犬の運転手!
Dorgas?Larguei! Agora sou motorista
Driving Dog Prank - Just For Laughs Gags
ネコ用出入口から闖入者・・・。
Strange Cat Door Surprise