2009 08 08(土)

毎年月になると広島・長崎の原爆や終戦記念日が巡って来て、戦争の惨禍と平和の尊さを思い出します。

今回は先の大東亜戦争の反省を基として建てられた“埼玉県平和資料館”を8年ぶりに訪ねてみました。
場所は埼玉県東松山市岩殿241-113(TEL0493 35 4111) 東松山市西南の丘陵地帯。
 

埼玉県平和資料館の外観・内部は戦争中の資料を展示する館には似つかわしくないほど近代的な建物です。
 
先ずは料金100円を払って入館し,順路に従ってスロープを歩きタイムトンネルに入ると戦前の光景が眼前に広がります。

天井からは裸電球が下がった、戦争前の平和な民家の様子が丁寧に再現されています。
 
和室には当時の平均的な夕食の光景。 野菜や漬物に小魚も惣菜として食卓(ちゃぶ台)に・・・。

太平洋戦争が激しく戦況が悪化し始める頃には各家のガラス窓は和紙で爆風対策の貼りがなされます。 外に光が漏れて敵機に見付らないように屋内の電球も黒布で被われます。(灯火管制 )

家の外には急ごしらえの手掘り防空壕。 土嚢が積まれ戦中の切迫した情景が見事に再現されていました。

戦況の悪化と共に生活物資のほとんどはに徴用され、一般の家庭は慢性的に物資欠乏症に・・・。
戦中の食事は大根・人参入りのスイトンサツマイモ。 軍関係が最優先で普通の家庭は僅かな物資をも無駄に出来ない耐乏生活を強いられました。

 
戦争中の標語は「欲シガリマセン 勝ツマデハ」「質素倹約 火の用心」 「撃滅 鬼畜米英」「進め 一億火の玉だ」 「贅沢は敵だ!」など・・・。
「贅沢は敵だ!」をもじって「贅沢は素敵だ!」とか「欲シガリマセン 
豚勝マデハ」と云う揶揄した愉快なのもありましたね。

平和資料館の内部には当時の国民学校も建ててあります。
校舎入口の脇にはお馴染みの二宮金次郎翁の石像。

 
懐かしい木製の粗末な机と椅子が整然と並んだ教室。 
上から降りてきたスクリーンに戦前の授業が映し出されますが、映像が消えると突如「東部軍管区情報・・・房総半島洋上から敵爆撃機○○機来襲!」と警戒警報が発令されます。


さあ、爆撃で死にたくなかったら校庭に掘られた防空壕に急いで退避しなければなりません。
 
土壁で固められ土嚢で補強された防空壕の中に飛び込んで、頭を抱えて身を伏せましょう。

埼玉県平和資料館の国民学校から防空壕へ避難し、敵機の爆撃を避ける模様の動画です。 実際は爆撃音と共に防空壕が振動する仕掛けが迫力満点!!の施設。

埼玉県平和資料館の防空壕 P1610001


土俵を積み上げて道端に簡単な防空壕を作っている写真。(熊谷市 石川守彦氏所蔵)
コンクリート造りではない為に直撃弾は勿論のこと、至近弾が落ちると振動で防空壕が崩れ落ち、中で圧死する事も多かった。

 
平和資料館には戦争中の資料が沢山展示されています。
館内の天井に浮かぶ丸い球体物は日本から偏西風に乗せ太平洋を越えてアメリカ本土に落下・炸裂を意図した風船爆弾。(平和資料館のは七分の一模型) 和紙をコンニャク糊で貼って大きな風船を作り、下に爆弾を吊り下げただけの、風まかせ運まかせの稚拙な兵器でした。

対するアメリカ軍は日本軍の高射砲が届かない高度1万mから焼夷弾爆撃。
日本各地の都市を襲い猛火を浴びせた焼夷弾の模型も展示。六角の焼夷筒が束になって格納されている様子が良く判ります。
 
国内の家屋では敵機に見付からない様にと粗末な素材で電球にカバーをし息を殺して恐怖のなか暮らしていました。(灯火管制)

平和資料館の映写室では戦中のニュース映画が上映されています。
 
天皇が統帥するにだまされて、当時は老いも若きも国民総動員で必至に戦わされました。
焼夷弾で延焼する家屋にバケツリレーで消火! 演習はともかく、高熱の炎で近寄ることも出来ず、逃げるのが精一杯で防空演習・防火訓練は実際には全く役に立ちませんでした。

焼夷弾に束になって格納された六角形の焼夷筒。この中にゼリー状油脂が充填されて落下し炸裂発火します。
 
一般国民が防ぐ手立ては粗末な木綿製の防空頭巾!!(で濡らしていないと直ぐに火が燃え移るのです。)
竹槍で重爆撃機B29を撃墜するのと同じくらいに無力な防具でした。



戦局が悪化すると18歳以上の男子には召集令状(赤紙)が発せられ、国民は根こそぎの動員となりました。(国家総動員法

国民皆兵が施行されると・・・“一億玉砕”が声高に叫ばれ、人々の暮らしは更に悲惨な状況に突き進んで行きました。

類型的に整然と陳列された戦争中の品々には興味深いものが沢山展示さています。

 
入営者(兵隊になる者)を送り出した家には在郷軍人会から入営証明標が門戸に貼られ名誉な事とされました

日本軍の情報操作とその宣伝機関になった当時のマスコミ報道により、国民生活は戦時色一色に染まってゆきました。
 
子供の本や人形・団扇までもが軍事色で埋め尽くされ、子供を含めて誰もが戦争で死ぬのが当然と云う狂気の世相に・・・。
 
各地の「愛国婦人会」「大日本国防婦人会」「大日本連合婦人会」など婦人会・母の会・主婦の会等の婦人組織は全て国策の「大日本婦人会」に統合され銃後の守りとして戦争への協力を推し進めてゆきます。(昭和17年発足 全既婚婦人は強制加入。)

国内各地では出征兵士の無事を祈って縫い込む“千人針”が流行。
千人針で縫った布を身に着けていると敵弾が当っても死なないという迷信もまことしやかに流されて・・・。

上の千人針絵葉書は洋装・ハイヒール・パーマ姿もいますから、戦局が逼迫する前の光景と思われます。

千人針で縫った肌着。ご丁寧に心臓部には五銭玉を縫いこんだ日の丸などを。 五銭は四銭(死線)を越えると云う意味。
 
戦地で戦う兵隊に送った“慰問袋”。 物資不足の内地から無理して送った事でしょう。

「勝ってくるぞと勇ましく、誓って国を出たからは、手柄立てずに帰らりょか・・・」と勇ましい軍歌を歌いながら駅で見送った出征兵士の肩に掛けられた赤襷

「祈・武運長久」と海軍旗・虎を千人針で縫いこんだ腹巻も軍国日本の悲しい遺品として涙を誘います。
一般兵士の出征は死にに逝くと同義語の悲しい時代でした。

明治維新から太平洋戦争の敗戦まで、天皇制軍部の独走を抑えられずに「陸海軍あって、国家なし。」と言われる軍事独裁国家になり、相次ぐ戦争により国民は凄惨な生地獄を経験させられる事となりました。
二度とこの様な愚かな轍を踏まないように、来し過去を振り返り戦争の惨禍のない平和な日本を築いてゆきたいものです。

戦争の悲惨さと平和の尊さを実感させてくれる埼玉県平和資料館、ぜひ訪ね狂気の時代の愚行を省みて未来に役立てては如何でしょうか・・・。

2009 08 11(火)     前橋市時々     最高気温32.6℃