【先祖供養は大切かも?】

 

祖先崇拝は世界中で見られる考え方です。日本では縄文時代から存在していた考え方のようですが、特に日本を含めた東アジアや少数民族が存在している所には祖先崇拝の考え方が強く残っています。キリスト教が浸透しているエリアでは、神だけが敬うべき唯一の存在で、牧師がファーザーと呼ばれる父親です。ですから、一神教のエリアでは、どちらかというと先祖供養の考え方は薄いようです。

考えてみれば当たり前のことですが、先祖がいなければ今の自分は存在していないわけですから、先祖をないがしろにすることは、自分をないがしろにしてしまっていることにもつながります。祖先崇拝では、亡くなった祖先が生きている子孫に対して影響を与えると考えられているのが、少し怖いところです。逆に言えば、ちゃんと先祖供養することで、私たちはさまざまな恩恵を受けやすくなってプラスの効果が期待できるとも言えます。

では、どうすることが先祖供養なのでしょうか?
一般には、お墓参りをすることや、仏壇に手を合わせたりすることなどがですが、具体的な先祖供養の方法ですが、これらも形だけでは何の意味もないと言われてしまっています。要するに、先祖に思いを馳せて、代々受け継がれている命に感謝の気持ちを抱くことができればいいわけです。わざわざお墓に行かなくても心をつなぐことができればOKです。もちろん、お墓がない場合も、家に仏壇がない場合も全く問題はありません。

ただ、心をつなぐと言われても、実際の所よくわからないという方も多くいらっしゃるでしょう。先祖の顔なんかしらないし、イメージすることなんかできないという方も少なくないはずです。

イメージできないならイメージできるようにすればいいだけなのですが、・・・例えば、身近な先祖の写真を飾っておくとか、遺品を形見として自分が使うようにするとかしておくだけでも、亡くなった故人を思い出すことはできるはずです。もともと偶像崇拝禁止だった仏教で、たくさんの仏像が作られるようになった理由は、イメージできるかできないかによるものでしかありません。イメージできないことで、忘れ去ってしまうよりも、思い出すきっかけを何か用意しておくことがポイントです。魂には形がないだけで、そこにいると考えて普通に接してみてはいかがでしょうか?

さすがに、世界中につながっている海全部が故人のいるところという壮大なスケール感をもってイメージするのは少々難しいのかもしれません。「あの森は故人が眠っている場所」というくらいのスケール感なら、腑に落ちるのかもしれません。昔から、眠る場所は、眺めの良い高台だったりするもので、海の底に沈めてしまうというのは、どうしてもマイナスな印象をもってしまいます。そういった意味では、「森に散骨する」というのは、良い選択なのかもしれません。

 

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