【僧侶はいらない?】

 

今、「僧侶は不要だ!」という声が強まっているようです。昔から日本では、僧侶は「坊主丸儲け」「生臭坊主」などと揶揄されてきましたが、特にここ最近になって、かつてないほど僧侶不要論が高まっているようです。仏教は、もともと教えを広めて人々を苦しみから開放する役割を担ってきたはずですが、日本では、江戸幕府の政策によって、檀家制度が設けられたことで、何にも努力しなくても、僧侶になれば、飯が食えたことに原因があるようです。自分では何もせず、死体の処理は葬儀社にまかせて、ただお経を読むだけが僧侶の役目でした。何を言っているのかさえわからないお経をただ読み上げるだけで、多額のお布施を手に入れて、高級車を乗り回していた時代もありました。その反動なのか、今、僧侶に対する不満や批判が噴出しているようです。今日ほど権威の揺らいだ僧侶の立場は、過去にはありませんでした。本来は彼ら僧侶もわかっていたはずですが、すでに人口が減少し、経済が悪化する中で葬儀も減り、墓じまいも進んでいるのが実情です。経済状態がますます厳しくなった今になって、僧侶たちは慌てふためいているというのが実情です。

2015年頃には、アマゾンに「お坊さん便」なる僧侶派遣商品が登場したのも記憶に新しいものです。このビジネスは、社会問題となって数年でアマゾンへの出品を終了し姿を消しましたが、出張僧侶サービスが全てなくなったわけではありません。現在もネット検索をすれば、いくつも簡単に僧侶が呼べるサービスを見つけることは可能です。そして、ネット上にもお経はたくさん転がっており、無料でお経を流すことは誰でもできる時代になりました。わざわざ僧侶を呼ばなくても、家族が手作り感覚で故人を弔うことは十分にできる時代なのです。

ニセ僧侶なるものも日本各地に出現しているようです。ニセ僧侶は、外国人観光客に二束三文のグッズを売りさばいているようで、「悪質な詐欺行為に迅速に対応すべき」という意見がある一方で、同時に「何をもってニセというのか。そもそも僧侶自体詐欺みたいなものだ」という意見も多くあります。ニセ僧侶と本物僧侶の違いは、研修を受けて資格を得たかどうかだけのことですが、数日間数十万円で僧侶の資格は誰でも手に入れることができる時代であることも知っておくべきかもしれません。すでに僧侶は俗人とは一線を隔する特別な存在ではなく、いわゆる資格ビジネスの一環で、お金を払えば誰でも手に入れることができる資格になってしまっているのが実情なのです。僧侶の資格を手に入れさえすれば、高額な戒名代と高額な香典が手に入るのです。話術に長けていれば、ユーチューブでセルフプロモーションを行って、ファンを増やし、僧侶としてもユーチューバーとしても高額所得を得ることができるわけですね。

日本の僧侶を揶揄する声は、日本国内だけでなく、海外からも上がっています。今、僧侶に対する不満や批判が噴出している状況に対して、「葬式仏教」にのうのうと胡坐をかいてきた日本の仏教界は、今後の方針と早急な対応策が迫られています。退屈な読経と決まった法話のみで仕事を終えてしまう職業僧侶は、すでに誰からも望まれていません。仏教を担う僧侶たちが、拝金主義に染まってしまっているのは、とても悲しいことです。「仏教」の看板を掲げた「お金教」は早く卒業してほしいと切に願うばかりです。

 

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