【日本におけるお墓のはじまり】

 

お墓とは、亡くなった人の体や骨を納める場所や建造物のことをいいます。日本から昔からあるお墓に古墳があります。古墳は土を高く積み上げることによって造られた建造物で、西暦250年頃から600年代頃まで作られていました。その当時作られた古墳は、現在残っているだけでも16万基以上あり、多くの権力者たちがこぞって建造に力を入れていたことがわかります。一番大きな古墳は、大阪にある仁徳天皇陵古墳でしょう。権力者たちは、その大きさや細部にまでこだわったつくりなどで、自分の力を表現しようとしました。ですが、「お墓が権力者たちの象徴なら、普通の人のお墓はどうしていたの?」と疑問に思うこともあるでしょう。

日本ではもともと一般の人たちの間でも、無くなった人を掘った穴の中に埋葬するという文化がありました。しかし、埋葬した上にお墓を建てるということは行われてはいませんでした。日本のお墓のはじまりは、仏教の創始者であるお釈迦様の遺骨を納めた塔である仏舎利塔からはじまったとされています。舎利とは、遺骨を意味する「シャリーラ」という言葉から来ており、仏舎利塔とは、仏の遺骨を納めた塔のことをいいます。その建物自体にご利益があるとされていて、その後、仏舎利塔の形をもとにした塔が色々なお墓に用いられるようになりました。

では、墓石を用意して亡くなった人を供養するという様式が一般的になったのはいつからでしょう?これは、江戸時代からだと言われています。江戸時代のはじめはキリスト教が広がりだした時代で、地方の権力者は宣教師を通じて海外から大量の武器を輸入できるようになりました。これを知った江戸幕府は「キリスト教が幕府を危険にさらすことになる」と考え、キリスト教を禁止するようになっていきます。そこで檀家制度を法律として定め、「個人が特定の寺院に所属して、そのお寺にお墓を持ち、素人には難しい葬式や供養などの行事をすべて任せる代わりに、寺院にとって必要なお金や人手を出して支援する制度」のことです。その頃の寺院は、家族ごとに年齢や続柄などが書かれた書類の管理を任されていて、現代の役所のような権限を持っていました。江戸幕府がこの檀家制度を作ったことで、住民は半ば強制的に仏教へ加入することになり、お寺と住民との強い結びつきが生まれたのです。こうした流れがあり、現在のような仏教のお葬式が一般的に行われるようになり、お墓が作られるという習慣が始まりました。ただ、お墓を建てるようになったとは言っても、墓石は高価だったため、用意できるのは武士などの位の高い者だけでした。一般の人たちは河原の石を積み立てることや細長い板を立てるという程度のものでしかお墓を建てることができなかったのです。また、現在では、亡くなった人は火葬され、その一族ごとにお墓に入るのが主流ですが、当時はお墓に対して一人ずつ埋葬される個人葬が一般的でした。埋葬時も燃やされずそのまま土へと埋められたのですが、土地不足が深刻化してくるに従って「火葬して一族は同じ墓に入る」ということが一般化していったのです。

 

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