モノ化できる製品はコスト計算から売価を設定すれば比較的安易に売買が可能になるかもしれない。


人が動けばコストがかかる。きわめて当たり前の事であるが・・・では企画の場合はどうであろうか?コストがかかっているようには見えないので売価設定することが困難になる。企画をモノ化する事(企画書??やアイディアの紹介)でやっと初めて少しは売価設定の可能性が出てくる。考え・情報など無料で手に入ると思っている輩が多いのは困ったものである。更にその企画書を見た「その時に発見した内容の良さ」を読み手(聞き手・買い手)が以前から考えていたようなことを嘯いてくれる・・・始末に悪い。コンサルタントや企画者の価値がぶっ飛んでしまう!!よしんば受け入れられたとしても成果報酬になってしまいかねない。これではフルコミで営業やるほうがましである。


多くの人は経験価値をすでに持っているのだが有料化するには至らない。理由は経験が売れる経験ではなく価値がつかないからだ。


此処で絵を描くということを考えてみよう。どんな絵でも良いなら誰でも絵は描ける。しかし売れる絵となるとなかなか難しい。ある人が絵描きを志し職業にしたときからこの課題が発生する。絵を描くために道具を買い揃え、絵を売るための方法を考え、実際に絵を売る行為を起こし販売にいたる。一枚の絵が売れるまでにたくさんコストがかかっているということを評価すべきではないだろうか?有名な作家が描く絵が価値があるのはその作家の経験が全てその作品に埋め込まれているのであって、単に目の前にある一枚の価値ではない。だからその価値がわからぬ人には年末に商店街でもらえるカレンダーと同じ様になってしまうのだ。

違う観点でみてみよう。もしビルゲイツが絵を描いたとして(どこかの風景でもなんでもいい)その絵を買うという人は必ずいる。それも結構高い値段で買われるであろう。なぜか「ビルゲイツの絵」だからだ。絵の巧拙ではなく書き手の価値である。本職の絵描きからすると「やってらんね~よ!!」といいたくなるかもしれない。要するに「社会に価値提供したある未熟な絵描きが絵に価値を与えるのである。」


企画の価値をつける企画が必要な所以といえる。これが企画業を本職で行う場合にコストとして発生するのである。わかるかな?判らない人は企画書がカレンダーと同じようにみえるひとか?


企画屋だけが集まって会話をするのは楽しい。しかし販売しようとすると共通して話すことは「アイディアが盗まれる」である。面白い事業プランの宝庫であるにもかかわらずである。同時に企画屋だけで事業を起こそうとすると実務家が不足するのが悩みの種である。


大手企業や予算を余らしている企業に持ち込み、事業化できたならよしとしてごみ企画として処理するしかないか・・・。


この記事はチョット愚痴っぽいな・・・

価値がないから売れないだけだな・・・一蹴して終わりそうな記事になっている。


次回ネタとしてメモ残しておこう「建築設計?」