以前に投降したこれ↓で事故ったことは伝わったと思ってましたが、もうちょっと掘り下げて説明したほうが伝わりやすいかな、と思ったので、話そうと思います。

 

1990年7/23にこの世に生まれ、近所の幼稚園に通って、小中高と普通に公立の学校に入って、卒業してきた。

中学校までの勉強はまぁまぁできてたけど、高校に入ってからは勉強が難しくなったからなのかわからないけど、あんまり勉強しなくなった。

っていうか全然しなくなった。

あ、バイト始めたのが原因だったのかなぁ?笑

 

いずれ時が過ぎて周りの友達はみんな大学受験のために勉強を始めてた。

僕も周りに流されて勉強することにした。

けど、高一で勉強するのに挫折して、勉強していなかった僕は国語・社会・英語の三教科で受験できる私立文系一本で大学受験の勉強を始めた。

 

なんとか、大学に入学することはできた。

2009年4月に大学に入って、1年経たない間に「事故に遭い、車椅子での生活に」というまさかの人生になった。

2010年1月のある日、バイク乗車中に交通事故に遭ったらしい。

 

事故当日は午前中に入間のアウトレットに出かけ、夕方に、大学近くにあった祖母の家に帰ろうとしていた時、交通事故に遭った。

後に判明したのは、「後方から大型車の追突による当て逃げ事故」だった。(詳しくはまた後日)

 

事故後、両親は病院から「息子さんが交通事故に遭いました」との一報を受け、病院へ。

当時、両親は「骨折した」くらいの事故だと思っていたそう。

いざ、病院に到着しても、すぐに対面することはできず、待合室に誘導され、そこで何分も何十分も何時間も待たされたそう。

 

待合室で待っていた父が目にしたのは、輸血パックを抱えながら緊急オペ室に駆け込んでいく救助員の姿だったとのこと。

そこで「ただ事ではないと感じた」と言っていた。

 

事故直後は心拍数が200近くまで上がって、生死をさまようほど大きな事故だったらしい。

なんとか一命は取り留めたものの、緊急処置が終わるのを数時間待たされた両親が目にしたのは、「ピーッ、ピーッ」と機械のアラーム音が鳴る中で、複数の管に繋げられた息子の姿だったとのこと。

 

 

母は当時の状況を「まるで現実に起きていることだと認識できなかった」と言っていた。

「数時間前に玄関で見送った息子」が今、目の前で無数の管に繋がれているのだから。

その日から長いこと、何日も何日も意識が戻ることはなかった。

(つづく)