亡き主人のブログ登場回数が少ないですね
(時間の経過や そもそもの主人への愛情の希薄さがそうさせているかなと 思っています)
主人の供養をしていれば 家族の中の心持ちは違っていたのかもしれません
なぜかそういう気持ちになることはありませんでした
(子供達には申し訳なかったかなと思うことも)
それでも忘れるということはなく
これまで忘れた日はありませんでした
ただ 言葉や態度に出す供養には抵抗がありました
主人のことまで抱えるのは無理だなというのが本音です
亡き息子とは ともにあるけれど
主人は ともにあるとは思えないというのが本音です
(こう考える自分を責めたりしますが)