金 日磾(김 일제 キム イルチェ) 1 | kumgankayaのブログ I LOVE KOREA

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金 日磾 石碑(1)

金 日磾(김 일제 キム イルチェ)
金氏始祖で有り、北方騎馬民族、匈奴王の子。
そのお墓の、石碑です。
漢7代皇帝 武帝に仕えた、武将でした。(ブログ→エピソード参照)
本来、ここから始めても、とも思いましたが
金 閼智(김 알지)、この人が、過去と未来の橋渡しとなる、
一つの、起点となる人物だと思い、ここから始めたいと思います。
謎の人物 昔 脱解(4)において、ご紹介したい人物とは、この人の事でした。

しかし、実際には、さほど業績を上げた訳ではなく、
新羅においての、金氏始祖となる人物であり、昔 脱解に仕えた人です。
末裔達が作った神話を、ご紹介してから、話を進めていきたいと思います。

AD65年
金城(クムソン、「 금성」 新羅の城)の西、始林(シリム、「시림」後の鶏林)
この始林の、林の中で、鳥の鳴き声が、とても響くので
昔 脱解が、部下に見に行かせると、木の枝に、金の箱が
ぶら下がっていて、その木の下で、鶏達が鳴いていた。
不思議に思い、持って帰り、昔 脱解が開けてみると、男の赤ちゃんが、
入っていました。
金の箱に入っていたので、名字を 金(김)
とても智的な顔をしているので、名を 閼智(알지)
金 閼智(キム アルチ)
林の中で、鶏達が鳴いていたので、始林を鶏林(계림 ケリム)
新羅の首都、今の慶州です。ざっと こんな感じです。
実際の、名前の由来は、後日のお楽しみです。

その末裔が、
金氏の初代王。
新羅13代王 味鄒 尼師今(미추 이사금 ミチュ イサグム)
注目する人物の一人は、金氏2代王であり、
新羅17代王 柰勿 麻立干(내물 마립간 ネムル マリプカン)です。

それまでの王は、王を表す意味で、○○尼師今と、していましたが、
17代からは、麻立干になります。
では、麻立干とは何でしょうか?
麻立→頭
干→王
北方騎馬民族、匈奴の言葉で、「王の中の王様」言う意味です。!
つまり、自分は、匈奴の末裔であることを、ここで主張し、
22代王まで、この呼び名が続きました。
ここで、ようやく、匈奴とのつながりが、見えて来ました。

これから、先に進むことにおいて、膨大な量の資料と、遺跡を探り、
続けて行きますので、又、お時間を頂く事になります。

少しですが、次回の予告をお話しして、終わりたいと思います。
新羅30代王 文武王(문무왕 ムンム王)と、
新羅42代王 興徳王(흥덕왕 フンドク王)の碑文を、
読み解いていくと、新たなる発見が有り、
より一層、ル-ツに近づき、伽耶の金海金氏と、新羅の慶州金氏
との関係
中国歴史の父 司馬遷の、史記から見えてくる、歴史的事実
など、驚く事の連続です。

調べる事、まとめ整理する事が、膨大で
ブログが、なかなか前に進みません‼️
繰り返しになりますが、お時間を頂き、
ゆっくりと進めていきたいと思います。
これからも、宜しくお願いします。
本日は、これまで。(≡^∇^≡)